かつてイエス=キリストは、汝の隣人を愛せと説いた。我々日本人も、ご近所付き合いを大切にするように隣国とは仲良くしていかなくてはいけないと教え込まれた。だが最近の傾向を見ると、嫌中・嫌韓と我が国の国民が中国や韓国に対して決して良好とは言い難い
周りの空気が読めず、自分勝手な発言や行動をする。細かいことにこだわり、執拗に同じことを繰り返す。全般的に社会に馴染みにくい。あなたの周りにも、こんなタイプの人はいないだろうか。専門医に診てもらわないとはっきりしないが、こういう人にはアスペル
楠木正成。戦前と戦後で、これほど評価が大きく分かれた歴史上の人物も珍しかろう。本書では、特に昭和十年代においていかに正成の人物像が神格化されたかに焦点を置いている。正成がいかにその実像を無視する形で、忠義一途の人として描かれたかを明治時代の
かつて、たとえば戦国時代の頃ならば人生五十年だった。それが今や、政府もマスコミも人生百年を推奨する時代となった。世の浮かれきった風潮の尻馬に乗るのも、業腹な気がしないでもない。同時に五十を迎えたからといって、残りの人生を悲観的に生きるのも違
宇宙の果てを見てみたい!子供の頃に抱いた夢を実現するため、ドイツ留学をした男がいた。男の名は小平桂一。当時ヨーロッパでは、天文学というのが肉屋や運転手など社会の人々と同じような当たり前の職業だと知り衝撃を受ける。同時に天文学に自分の将来を賭
"「近江」というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。"司馬遼太郎のライフワークとなった『街道をゆく』は、この一節から始まる。"湖西のみち"と名付けられたこの紀行文は、小品ながら司馬さんの
後醍醐天皇の綸旨を秘かに受けた足利高氏。幕府の命により鎌倉から京を目指したものの、その腹中はいつ、どのようなタイミングで幕府を裏切るか、その一点に絞られていた。徐々に六波羅軍が宮方の軍勢に押され始めるのを見計らって、遂に高氏は決断を下す。背
蜀を得た玄徳にとって本拠地同様に重要なのが、荊州の地だった。ここを最も信頼する義弟・関羽に守らせていた。魏の曹操にとって、荊州が蜀の地であることは目の上のたんこぶでしかない。兵を差し向けるものの、関羽の勇猛さの前には敵わない。攻めあぐんだ曹
近江の堅田にて、一休主従は孤児(みなしご)の兄妹を助ける。三人のうち一人は眠るように死んでいた。少しずつ食事と水を与えた一休たちは、飢餓で両親が自殺したこの子たちを引き取ることにする。子供たちは亡くなった両親の菩提を弔うために、京で小さな船頭
今日もまた、洛中で一休を生き仏と崇める者が出た。何者かと尋ねると、かつて一休の寺に盗みに入って捕らえられた盗っ人の片割れだという。今は似せ絵描きとして独立していて生計をたてているとのこと。あの時の縁ということで、狩野重介と名乗る男は一休を描
ピーター、スーザン、エドマンド、ルーシィの四人兄妹が、ナルニア王国から帰ってきてから一年後。学校の寄宿生活に戻るため駅のホームにいた時、四人は魔法で不思議な小島へと連れて行かれる。ここはナルニア王国ではないのか?残された廃墟から、子供たちは
伊勢宗瑞(そうずい)といっても、誰のことじゃいと思う人も多かろう。北条早雲の生前の名前である。本書では宗瑞で統一されている。さて宗瑞(早雲)といえば、戦国時代の幕を開けたとして史上有名だ。しかし著者は、その役を担ったのは宗瑞一人ではないと指摘す
老後資金が二千万円足りない人が多くなると、参議院選前に公表され悲観的になった人も多かろう。小生も将来に不安を感じつつ、再読したのが本書だ。あまり気にするな。著者は、その主旨の記述をしている。何故なら、精神的・肉体的にいい事が一つもないからだ
紀州九度山にて真田昌幸が瀕死の重傷を負っていた頃、加藤清正らはある秘策を講じていた。徳川家が政権を握って十年余り、盤石にこそなりすれ衰退の陰は微塵も見られない。このまま大御所家康の命運が尽きるのを待つ前に、豊臣家が取り潰しにあうかもしれない
祖父沢井景月を惨殺されたため、女だてらに宮本武蔵と共に武者修行の旅に出た於乙。ところが武蔵と落ち合う途中で、ある武者修行者と出会い恋に落ちてしまう。皮肉にもそれは、武蔵の命をつけ狙う結城数之進であった。目の前で武蔵に斬りつけていった数之進に
NHKで放送された「プロジェクトX挑戦者たち」の書籍版の第三弾。1955(昭和30)年秋、関西電力の初代社長太田垣士郎は社運を賭けた一大プロジェクトの遂行を決意する。毎年のように電力不足に悩む関西地方に安定した電力の供給を。そのために北アルプス立山連峰
初めてタイトルを見た時、嫌だなというかきついなという印象を受けた。男が一人、孤独死する。そんな光景を思い浮かべて身につまされた。著者は医者として、在宅医療に取り組んでいてその過程で患者の何割かが孤独死した状況に直面した。孤独死は特に男性に多
自虐史観という言葉が使われてから久しい。特に前(さき)の戦争について触れる時、太平洋戦争と呼べば自虐史観。大東亜戦争と言うのが正しいとされている。本当にそうなのだろうか。戦争に負けたから、なにもかも懺悔しなくてはいけないというのに異論を持つの
団塊の世代(昭和22〜25年生まれ)が、2025年には介護難民になるという試算が出ているという。介護業界の人手不足も拍車をかけているという。少子高齢化が深刻になっている現在、この傾向は進みこそすれ歯止めが利かない状態になりつつある。何よりハコ物である
ラテン語のことわざで、"敗者は無惨"というのがあるそうだ。敗者は命を奪われるだけでなく、歴史から抹殺される宿命も負わされるところからきているという。戦い、特に戦争に負けるということは最悪そのような被害を受けるともいえる。わが国が太平洋戦争(本
わが国の言語が断絶したのはいつ頃だろう。右翼や保守系の人たちは、日本の敗戦以降と指弾する。違う、というのが著者の持説だ。明治維新以降、西欧の古典を取り入れ従来の漢文を捨て去った結果だというのが本書における主張だ。著者は少年時代の体験であるそ
楠木正成による再挙兵は、鎌倉を大いに悩ませた。大塔宮護良親王も呼応するように兵を挙げた。このままでは畿内だけでなく、四国、中国、九州にまで宮方に与する勢力が現れることは必至だ。再び執権職に返り咲いた北条高時は、周りに忠告されるがまま公称十万
玄徳の軍師諸葛孔明に焚き付けられて、魏の曹操との決戦を行うことになった呉の孫権。二重三重の謀の末、遂に呉は曹操の大軍を赤壁にて打ち破る。茫然自失の曹操だが、さすがに逃げ足は早い。生き残った者たちと共に先を急ぐ。だが、呉の追討軍に玄徳の軍勢に
硫黄島(いおうとう)。アメリカからは硫黄島(いおうじま)と呼ばれているこの島は、かつて太平洋戦争末期に日米で制海権を巡って日本軍がほぼ玉砕するほどの激戦が展開された。だからであろう。戦中は日本の、戦後の一時期までアメリカの軍事要塞と化したこの島
前巻にて、自分の生きづらさの正体が不安障害とADHDであることが判明した著者。悪戦苦闘の末、Twitterを通じて発表した1ページ漫画が多くの支持を得る。おかげでさまざまな出版社から、本を出さないかという依頼を受けすっかり舞い上がってしまう。そんな矢先
戦後、日本は悪の国の如き自虐史観に囚われた。司馬遼太郎の歴史小説で、近代史特に日清・日露戦争に関しては、自衛の戦争という認識が広がった。しかし、太平洋(大東亜ともいう)戦争になると司馬遼太郎ですら侵略戦争という捉え方をしている。あろうことか、
天正十八(1590)年豊臣秀吉による小田原征伐以降、関東は徳川家康が治めることとなった。やがて十年後、秀吉亡き後家康が関ヶ原の合戦で天下を簒奪(さんだつ)すると、関東はますますその重要度を増した。江戸に幕府が開かれると、周りを固めるように各地に親藩
司馬遼太郎は間違いなく偉大な作家だ。ただ彼の厄介さは、没後二十数年を経てなお小説などあらゆる著作が事実が余すことなく描かれていると誤解を受けていることだ。特に司馬史観で一括りにされがちな小説群は、史実に徹底的に忠実なものと思われてしまってい
元禄十五(1702)年十二月十四日に起きた、赤穂四十七士による吉良邸討ち入り。この事件ほど極めて日本的で、後世まで語り継がれるようになったものも少なくなかろう。同時に、これほど有名でありながら虚飾にまみれた事件もない。まず事件の発端となった浅野内