徳川家康の強引な手法で、遂に東西は手切れとなる。いよいよ襲い掛かる幕府方に対して、大坂方は豊臣家恩顧の大名を中心に味方を要請するが大御所・家康怖さに皆黙殺してしまう。豊臣からの要請は、紀州九度山の真田幸村の元へも来る。たとえ大坂方に味方して
杉寅次郎。後に親戚の吉田家へ養子に入り、松陰吉田寅次郎と名乗るこの若者。幼い時は叔父の玉木文之進からスパルタ教育を受け、そのあまりの苛烈さから、「寅次郎や、いっそお死に」と現場を目撃した生母が祈ったほどだった。松陰自身も後年、「あんなひどい
日本が好きだが愛国心は持てない。そういう日本人が多いのではないかという指摘に、正直どきりとした。かつて外人タレントとしても活躍したケント・ギルバート氏が、保守の論客として日本人の在り方を問うた一書。愛国心を持てない人は、家族や先祖に誇りを持