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2019年06月27日23:50

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本棚167『八木重吉詩集』郷原宏編著(小沢書店)

「この明るさのなかへ ひとつの素朴な琴をおけば 秋の美しさに耐えかねて 琴はしずかになりいだすだろう」(『素朴な琴』)

「秋になると 果物はなにもかも忘れてしまって うっとりと実のってゆくらしい」(『果物』)

 八木重吉の詩には、透明な明るさ、静けさがある。結核にかかり、29歳の若さで二人の幼子を遺して夭折した詩人の哀しみを描いた詩も多いが、上で挙げたような、清澄な秋の詩を読むと、心がすみゆく気持ちになる。

 その背後には、短い人生を貫いた、キリスト教への厚い信仰がある。ある絶対的なものを信じることで、詩人の眼は遥かな先を見つめた、透徹した眼差しになるのだろうか。
 宗教は異なるけれど、日蓮宗を信仰した宮沢賢治の童話や詩も、そうした透明感を帯びている。『注文の多い料理店』の序文で、「わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまひ、あなたのすきとほつたほんたうのたべものになることを、どんなにねがふかわかりません。」と賢治が述べるように。

 病が重くなり、死が近づくと、重吉の詩は一層透き通っていく。透き通って、そのまま消え入ってしまいそうな詩は、哀しくもあり、美しくもある。豊穣の秋は過ぎ、季節は冬になっていた。

「悲しく投げやりな気持でいると ものに驚かない 冬をうつくしいとだけおもっている」(『冬』)
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