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2019年06月04日00:01

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本棚158『美しい人生の階段』辻邦生(文藝春秋)

 映画と本は、表現の手法や効果は大きく異なれど、人生の歓びや切なさ、それらをひっくるめた「美しさ」を描く点で共通する。
 
 瀟洒なタイトルの本書は、著者が80年代後半から90年代前半にかけて書きためた映画評からなる。
 中でも、どちらもラストシーンが清々しい感動をもたらす『ニュー・シネマ・パラダイス』と『いまを生きる』についての文章が素晴らしい。

「失われたと思った少年時代も、初恋も、友情も、映画への夢も、すべてが手に手を執って戻ってくる。失われたものなど何もなかったのだ。映画へのこの愛があるかぎりースクリーンの上に浮遊する男と女の出逢いと別れを愛するかぎりー人間たちの愛の鼓動に息をつめて見入るかぎり、失われるものなど何もない。」
 
 人生においてかけがけのないものは、富や名声なぞではなく、愛し、愛されることの喜び。映写室でひとり、遺された一本のフィルムを観る主人公は涙を流しつつ、微笑む。それは、大切なことを思い出させてくれた、今は亡き映画の師、人生の師に対する感謝によるものだろう。

 『いまを生きる』では、秋から冬へのバーモントの高貴なまでに端正な自然を背景に、厳格な進学校にやってきた型破りの新任の国語教師が、爽やかな風を呼ぶ。詩を味わい、若き日の躍動を、一度きりの生の美しさを心から感じることの大切さを伝える。

「木の葉のそよぎ、池に映る雲の影、子供の笑い声、空の青さ、テーブルクロスの上に散るパン屑、花々と書物ーそうしたものの素晴らしさに気づかずに一日を終るなんて、なんともったいないことだろう。「カルペ·ディエム(この一日を楽しめ)」とキーティング先生はラテン語で生徒たちに教えるのである。」

 理想と現実の間で起きたある事件をきっかけに、キーティング先生は学校を追われることになる。その最後の場面で、生徒たちがとったある行動。去りゆく先生を見つめる、生徒たちの信頼と優しさに満ちた眼差し。言葉はないけれど、見えないタスキのように、人生における大切なものが確かに受け継がれたような気がした。

 どちらの映画も、忘れかけていた大事なことを、ある人との出会いにより思い出すという点で共通するように思う。
 映画を観て涙を流すこと、それは決して現実からの逃避ではなく、日々の日常の感動を見逃さないための訓練である、という文章をふと思い出した。
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