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2019年05月20日21:39

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本棚152『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人編著(中公新書)

 「陸奥湾より吹きつくる寒風、容赦なく小屋を吹きぬけ、凍れる月の光さしこみ、あるときはサラサラと音たてて霙舞いこみて、寒気肌をさし、夜を徹して狐の遠吠えを聞く。」

 会津藩士の家系の柴五郎が10歳の時に戊辰戦争が起こり、鶴ヶ城は落城、祖母や母、姉妹を自刃により失う。
 逆賊·朝敵の汚名を着せられた会津藩自体も67万石から、雪に半年覆われる下北半島の実収7千石の痩せ地に移され、挙藩流罪とも言える状況となった。粗末な家で、炊いた粥も石のごとく凍ったという生活は、塗炭の苦しみという表現が陳腐に思えるほど、凄絶を極める。ここには勝者によって書かれた歴史には決して現れない真実がある。
 その後、柴五郎は、東京での下僕生活を経て、陸軍幼年学校に入り、薩長土肥の旧藩士にあらざれば人にあらずという中、陸軍大将になる。

 この本は苦しい状況に置かれた時に読むと、大いなる支えとなると思う。五郎少年は辛酸の日々にあっても、自棄にならず、恨みに溺れない。同い年の少女が登校する際に、下僕として弁当と書籍包みをさげて人力車を追い駆ける場面のように、「哀しみ」を感じる時はあるが、他者への「恨み」は思いのほか見られない。しなやかな柳のように風雪に耐え、僅かでも光をつかもうとする。
 本書は陸軍の学校に入ったところで終わるが、後に藩閥の垣根を越えて立身を果たした、柴五郎の誠実で謙虚で強靭な人柄は十分に伝わってくる。

 以前、大河ドラマ『八重の桜』で、降伏の決意をし、代々の街も名誉も全て失ったと嘆く藩主松平容保に対して、義姉が、戦下の城の中で目を輝かせて凧あげをする子どもたちの姿にたくましさを感じ、再び会津の空に凧が舞う日が来るように、といった話をする場面を思い出した。
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