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2019年04月22日23:52

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4/20 宮田裕介作品展「山と花と時々、ねこ」など

20日はまたペインクリニックの日。注射、装具、採血、そして主治医と相談。11時半から13時半。

マオがいる間はやらない、と決めていたけれど、手術のこと、やはり待ってはいられない、もう決めてしまおう。連休明けに受診予約が取れたので、手術の日程を相談予約することにしました。

受診後は無料バスで日本橋三越へ。用を足したついでに、彫刻アニマルパークを見る。ファンである瀬戸優さん、吉川かおりの作品もあって嬉しい。猫が存外多くて、エサシトモコさんはじめ、猫作品を堪能。
隣のギャラリーでは、平松礼二さんのギャラリートークが盛況。琳派風の華やかな日本画。昔父に連れられて見に行ったことがあったっけ。

帰ろうか迷ったが、気になった写真展があったので、銀座線に乗って銀座へ。
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https://www.sony.co.jp/united/imaging/gallery/detail/190419/

ラダック地方と呼ばれる山深いヒマラヤの奥地を旅していた時、
小さな山村で日本語を話す不思議な女の子に出会った。
聞けば母親は日本人なのだと言う。
子どもは正直苦手だったが、覚束ない足で荒野を歩き回る姿にハラハラしてつい手を引いた。

日本に帰ってからもどこか気にかかり、
気が付くとまたこの村を訪ねていた。
そんなことを繰り返し、次第に家族のように生活するようになって七年。
あの時の小さな女の子は二人の弟妹の面倒を良く見る優しいお姉ちゃんになった。
そして私は彼女たちの年の離れた兄になっていた。
ある日、子どもたちと戯れる私を見て母親が言った。
「あなたも成長した。」 何の事かと聞き返すと、
「昔はどこか苛立ち、何かに焦って生きている感じがした。遠くばかり見つめていて、そんな風にじっと同じ場所に留まり、子どもたちと楽しそうに遊んだりはしなかった。」と。

賞や名声、お金。
野心に駆られ時間への焦燥に生きていたかつての私が今の私や私の作品を見たらどう思うだろうか。
でもわかって欲しい。
人を遠ざけ孤独に生きてまで得るほどの価値はそこにないのだと。
そして写真の中に映っている隠せない自分の本性、こんな優しさがある事を。

今作品展では作者自身が作品の背景となるラダック地方に伝わる古くからの民謡や宗教音楽などから影響を受け作曲した音楽作品をBGMとして使用する。


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ヒマラヤの奥地にすむ少数民族の村、ひとりの日本人ハーフの少女の成長を追った写真展、それだけで十分リリカルなのだが、和紙を使った小さめの、すごく美しいプリントをいい間隔でリズミカルに配置して、胸キュンもの。意図的な写真、構成もあるけれど、それはそれでわかりやすくていいのだろう、むしろ作者が優しい気持ち、広い心になって成長していく過程を鑑賞者も追体験できるのだから。作者は音楽家でもあって、会場にはラダックからインスピレーションを得て作ったという彼の曲が流れていて気持ち良い。写真展ではなく、作品展であることの意味がわかった。
宮田さん、いかにも若手アーティストといった好青年だった。話せてよかった。楽しかった。見にいってよかった。また見たい。
あの和紙のプリント、私もいつかやってみたいな。

「時々、ねこ。」は時の流れ、成長することと変わっていくことを時計のように気づかせてくれる存在か。「山と花と時々、ねこ。」「母と猫と私。」どちらもまだ続きがある…?

5月2日まで


四丁目の交差点は人種のるつぼ。斜めに渡って和光へ。先日少ししか見られなかったリモージュコレクソン展を再訪。
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人はなんで、小さいもの、秘密の入れ物、可愛いもの、が好きなんだろう。小さいだけではダメ、可愛くなければね。可愛くてもそれだけじゃダメ、思わず手に取りたくなるようなもの、箱で、中には秘密が入れられるのなら最高よ。


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