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2019年02月14日07:56

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カラオケという「遊び」

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人は何故カラオケで歌うのか?
ずっと考えています。
昔、ゲームはゲームセンターでやっました。
それがファミコンが出てから、ゲームはもっぱら家でやる人が増えてきました、そして今では携帯でも。
いずれにしても、ゲームはひとりでやっても楽しいもののようです。
ゲームはひとりで完結できます。
さて、カラオケボックスが出来てから何十年もたちますが、未だ「ファミカラ」が浸透してはいません。
ヒトカラボックスも最近になって出始めて居ますが、ヒトカラで完結しているようには思えません。
ぱつんも以前は何度かヒトカラも行きましたが、オフ会で発表するための、プレオフ会ヒトカラに過ぎませんでした(たまには単にストレス発散て大声をだすため、なんてこともありましたがヒトカラのメインではないです)
これはカラオケは、ひとりで歌うのがメインではなく、あくまで披露を前提としてやる遊びのような気がします(他にも録音などの目的もありますが、録音の最終的な目的が披露になっている気がします)
ゲームはひとりでも完結していて、カラオケは完結していない、人前で披露することで完結するように思えませんか。
となると、カラオケはゲームというそれのみを楽しむ「遊び」ではなく、周りをも巻き込んだ上での「遊び」と思えるのです。

スポーツは観戦だけを楽しんだり、自分でやって楽しんだりもします。
歌も聴くだけと、自分で歌ったりもしたすから、カラオケはスポーツに近いのでしょうか?
でもなんとなくモヤモヤするのです、それは「対象」です。
スポーツは相手チームと「戦う」という遊びです。
それを見るにしてもやるにしても、相手チームが必要となります。
カラオケは誰かと戦かっているのでしょうか?(歌合戦はカラオケの本質ではないと思いますので)

演劇も観るだけと自ら演じることもしますから、カラオケは演劇に近いのでしょうか?
演劇はあるシナリオに沿って「演技」を観客に見せる遊びです。
カラオケの「歌詞」がシナリオと考えたら、歌詞を歌う(演じる)、そして観客は「対象」であり、その場に参加したメンバーに観てもらうと考えると、カラオケは演劇に近い遊びなのでしょうか?
ならば、歌う時は周りに印象つける「演技」が必要となる気がします。

……と書いたのですが、ここは遊びの権威に話の決着をつけてもらいましょう。

ロジェ・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』が発表されたのは1938年です。
「遊び」を考察した古典中の古典(本書を発展的に継承したのがロジェ・カイヨワ著『遊びと人間』です)が、その中で遊びを分類しています。

要約して書くと

1)アゴン(競争):取っ組み合い→かけっこ・おにごっこ→剣玉・こま回し・お手玉・腕相撲→サッカー、野球、バスケなど→将棋、チェス、囲碁など
2)アレア(運):じゃんけん→すごろく→パチンコ・宝くじなど
3)ミミクリ(模擬):まねっこ→ままごと・学校ごっこ、人形遊び→仮面・仮装→演劇
4)イリンクス(めまい):ぐるぐるまい→ブランコ、シーソー→メリーゴーランド→ダンス→スキー、スケート、バイクなど

カラオケという遊びは、この時代にはなく、分類されてませんが、演劇に近いのでミミックということになりそうですね。
カラオケがひとりで完結する遊びでなく、周りを巻き込んだ遊びならば、周りのオーディエンスにも注意をはらうのが当然だと思います。

演者と観客が一体と化したとき、素晴らしい思い出に残る時間となるやうに、歌を上手く歌っただけでは印象深いオフ会とはならず、歌う人、聴く人が一体となったとき、素晴らしい思い出に残るオフ会となる気がします。
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