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2018年11月17日14:57

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戦士たちに捧げる挽歌

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右翼とか保守が世の潮流になってからどれほど経っただろう。少なくとも2011年の東日本大震災以降より、絆というか国の形というものが見直されてきたように思う。

これを左翼の化けの皮が剥がれたと見るべきか。左翼がパヨクへと衰退したと捉えるべきか。

こう思ったのも、平岡正明の本書を手に取ったからである。平岡正明。新左翼運動の異端児として脚光を浴びていた彼が、現代日本を論じるとしたらどんな形を取ったか。

一読して初めてわかったことだが、著者はこの本を著した数ヶ月後に急逝している。68歳だった。死後も何冊か刊行されているが、生前出したのはこれが最後になる。

正直、小生は彼を高く評価していなかった。というのも、90年代前半日本ジャーナリスト専門学校(現在は廃校)に在籍していた頃、平岡正明による水滸伝の講義を受講するはずだった。

案に相違して約一週間前、本人の弁明によりこの講義はおじゃんとなった。この時のトラウマで水滸伝は未だに読んでないし、平岡に対する評価もだだ下がりに下がった。

ある意味遠ざけていた平岡の著書に目を通したのは、彼を見直したというより小生自身もマンガ好きということもあろう。

さて、冒頭の小松崎茂『地球SOS』についての評価と批判については、世代が違って読んでないので論評のしようがない。

他もこちらは読んではいないので本当のところ論じるのに難がある。ただ、なるほどなと思わせる箇所はいくつかある。

その中で一つだけ選ぶとしたら、手塚治虫の『38度線上の怪物』だ。朝鮮戦争が勃発した1953年に描かれたSFで、手塚曰く三流半のくだらない読み物ということだ。

しかし平岡は微に入り細に入り細かく分析し、これを傑作と高く評価する。なぜそのような違いが現れたか?

詳しくは本書を読んでもらいたいが、平岡正明という評論家を食わず嫌いでいた我が不明を恥じるに充分な力作である。我、過てり。



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