mixiユーザー(id:20556102)

2018年09月09日20:08

1925 view

小池光斯く語りき

仙台文学館の小池光短歌講座第11集(2017年度)を読みました。

ほぉ〜、と思ったくだり2箇所。

その1。(この件は過日この日記に書いたかも知れない。)冊子の巻頭言の小池さんの文章より。

[以下引用]
「詠む」と「読む」はどっちが、難しいか。だんぜん「読む」方が難しい。[中略]
一首、歌ができた。とても、うれしい。その歌をすぐに、そのまま出す。こういう方が多いと思うが、これは感心しない。その歌をすぐに出さず、一週間ばかりも放っておいて、一週間後に見直す。一週間たてば、よほど「他人の目」になれる。自作が自分から離れてよほど客観的に見えるようになる。つまり「読む」ことになるのである。
あのときは興奮して、これでいいと思ったが、いま読み返すとこれでは意味が通じないなあ、とか、ここのところがごちゃごちゃしていてすっきりしないなあとか、いろいろアラが見えてくる。そこで反省して歌を直す。自作にじぶんで手を入れてゆく。こういうプロセスを大事にしたいものである。[引用終り]

その2。ある受講生の《遠き日を思へば受験のわれがゐて仙台駅に降り立ちてをり》という歌について、結句「降り立ちてをり」と、「降り立ちゆけり」と、どちらがいいだろうか、という話になったところで…

[以下引用]
「降り立ちてをり」と「降り立ちゆけり」は、推敲する価値がありますね。どちらがいいかと何日も考えるのです。短歌は、いい歌を作るにはそれぐらいこだわらないと駄目です。こういう時は、二百字詰めの原稿用紙の真ん中に、歌を一首だけ書いて、それを二首分作るのです。机の上だとよく見えませんから床に置く。床に椅子を置いて、椅子の上からその二首を見下ろすのです。どっちの歌がいいか、何となく分かります。とにかく、大きな紙に歌を書いて離してみる。絵描きさんが、しばしば一〜二メートル遠ざかって絵を見るのと似た感覚です。距離が近いと思い入れが入ったままだから、客観的にはなかなか見られません。短歌も離れてみながら書くことをお勧めします。[引用終り]

ほぉ〜〜…。小池さんの作歌工房の一端をかいまみたように思いました。


【最近の日記】
印象に残った歌の記録(25)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1968246334&owner_id=20556102
『カメラを止めるな!』
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1968224819&owner_id=20556102
Good Vibrations
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1968180989&owner_id=20556102
6 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2018年09月>
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30