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2018年03月19日13:17

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S園が狂っていった根の特定の難しさ

  五木寛之著「デラシネの時代(角川新書)」という本の190ページには「戦時体制の下では、病者は必ず差別されていました。病むことは悪であり、軍隊に入るためには健康でなければならないからです」と書かれてあります。五木氏も、戦時体制の健康者優位の発想が戦後日本の高度経済成長になったという考え方です。但し、その日本の戦時体制は、第二次大戦以前の「日清・日露戦争」から始まっていると訴えています。誰でも老いて、病気になり、死んでいくのだし、高齢者も増えた時代でもあるで、健康者優位の発想はこの辺で打ち切ろうと、五木氏は訴えているわけです。


   五木氏の訴えははともかく、健康者優位の考え方がハンセン氏病患者隔離とか、優生保護法を生んだ事は確かですね。そして、早い時期から宮城真理子さんなどが立ち上げた「ねむの木学園」はその風潮にも戦っていきました。S園も最初はそうだったに違いありません。でも、いつの間にか、歪み、僕の行った頃には園生虐待とか、大人の園生たちを子供扱い、医療用麻薬投与などが行われたし、82年ごろでしょうか、一ルポ・ライターがそこをルポした本には、「本人の同意を得ない、大人園生に対する人体実験的な手術」の一園生の告白として書かれてあったわけです。明らかに優生保護法みたいな事とも流れや根は違います。日本社会の流れとも違う、独特の流れができて、次第に狂っていったわけですね。その根について、僕も若い時から色々と思索を重ねてきました。宮城真理子さんはカトリック信徒ですが、S園の初代園長はプロテスタントの一派らしいから、若い時の僕は一時期、信仰心が原因ではないかと思い、キリスト教関係の勉強を色々した事もありました。でも、信仰みたいな事では片付けられない事だという事が次第に判ってきました。又、S園にのめり込んだ人たちは大体、優生保護法みたいな戦時体制からの流れの問題に無関心になる人が多いわけですし。

  狂った根の一端が先に述べたような「大人と子供の区別をしない事」や「身障と知的障碍の分離療育をしなかった事」である事が今の僕にはやっと見えてきている所です。根は深く、しかも、いくつもあると思われます。

次回は後年に聞いたS園に関する「光」と思われる事を書きたいと思います。

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