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2017年08月03日12:49

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“正義を求める”行為を方法論からのみ論じる危険性は感じるものの、あの時代を反省する材料として認めたい。ライアン・マーフィー監督「ノーマル・ハート」(2014)。

HBOが制作したテレビ映画です。2時間12分ありました。元々はオフ・ブロードウェイの舞台劇だそうで、バーブラ・ストライサンドが映画化権を買っていたけど実らず、HBOが買い受けたらしい。ブラッド・ピットの会社プランBが制作に参加しています。

物語は、1981年から始まります。女性医師のエマ・ブルックナー(ジュリア・ロバーツ)が、免疫不全症候群に接し、その患者が同性愛者ばかりだと気づきます。そして同性愛のジャーナリスト、ネッド・ウィークス(マヘク・ラファロ)らが警鐘を鳴らすのですが、ようやく権利を認められ始めた同性愛者たちは、性行為を改めようとは考えない。さらにキリスト教的偏見から、世間の風当たりがいっそう強くなる、という展開です。

ネッドはテレビや新聞などで過激な言動を行い、そのため穏健に政府や地方公共団体と折衝しようとしている委員会のメンバーからは煙たがられます。いつの時代にも、過激な手段を取る人間は、ある部分で突破口を見出しますが、大勢の支持は得られない。大勢は常に、“過激な行動のせいで自分たちの主張が無視される”と考えます。

実は、そんなことはない。というか、冷静に実際の力のバランスを観察すれば、過激な手段が突破口を開いたおかげで、いち早く獲得できた支援などもあるわけです。過激な手段に出る人間はそれを“お恵みの産物”と考え、大勢は“ようやく獲得した”と考えるわけです。僕は“正しい考え”を常に支持したいと思っています。

とはいえネッドが委員会から邪魔者扱いされるあたりもよく分かる。体制側は御しやすい人間しか相手にしないから。体制側の担当者は、何かを“下からの突き上げ”で了解するのではなく、自分が“状況を先取りして”解決策を練ったという実績が欲しいわけです。だからこの映画で、ホワイトハウスの窓口役人を、「アントマン」で強烈な悪役を演じたコーリー・ストールが演じていたのは象徴的でした。

エイズを発症初期から診察し、すべてのデータを提供してまで防御策を取ろうとしていたブルックナー医師は、政府が予算をケチったとき、大声をあげてキレます。委員会はこの医師の行為を、ネッドと同じとみて“邪魔者”扱いするのか? しないわけです。僕はいつも、こういう政治人間たちの、本質を無視した交渉と妥協に反感を覚えます。僕たちは相手に議論を提供することはできても、理解力を提供することはできないのですから。

もちろんこの映画は、ブルックナー医師を英雄とは描かないし、ネッドを悪人とも描きません。そしてまた、死という現実に向き合わされたにもかかわらず、その事実を捨て置かれて、病気に対する対策を取られない被害者たちの無念さだけを描くわけではありません。さらに当時の大統領レーガンが、経済政策には金を出したけどAIDS対策には資金をケチった事実は、テロップでさらっと述べられるにとどまります。

ということで、映画の内容としての良否は問題ではなく、あの時代にAIDSをめぐってこんな状況があったのだということを知る、それがポイントなのでした。正義というものは多数決ではありません。多数決ですべてを決めるという功利主義(決して民主主義ではありません)が支配する今、物事の本質を見抜く、その姿勢が必須だと再確認できたのでよかったと思います。

でも、しょせんハリウッドは、物事から30年後にならないと、この程度の映画さえ作れない世界なのですわ。←「アラバマ物語」や「ミシシッピー・バーニング」が、実際の時代から何年後に映画化されたのか、調べてみてください。この原作戯曲は、1985年に世に出ているのです。そう考えると「ドリーム」は、よく我慢して今風に良質に仕上げたと思う。
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