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2016年08月18日04:22

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「釋超空のうた」について。(その1)

私は、今迄、私の日記に、釋超空のうた及び其の感想を、単発的に書いてきた。
ここで、私が現在も、もっている本があるので、それを紹介しておこう。

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私の持っている唯一の詩集:「釋超空・会津八一」(新潮社・日本詩人全集16、昭和43年初版) に、山本健一による 「釋超空・人の作品」 と題された短い解説が掲載されてい.る。

この解説が実に良く、私は繰り返しこれを読んでいる。釋超空という人を理解するには恐らくこれ以上の解説はあるまい。少なくとも私には。

以下、この解説の冒頭部分を、私自身が反芻する目的で以下に書いておこう。
(ただし、読みやすいように、適宜、空白行を入れている。)
以下、その解説。

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北原白秋に 「折口さんの歌について」 と傍書した 『黒衣の旅びと』 というエッセイがある。
その一節に言う。
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『万葉でいへば、同じ旅の歌でも、人麿より黒人くろひと)に、この人は近く、自然の観照の於いても、赤人よりも黒人に深みを見られるごとくに、この人は複雑である。

しかも黒人の境地を出発として、涯(はて) しもない一つ道に踏み出したかの観がある。 この特異にして幽鬼(いうき)のやうな経験者は、幽かに息づいては山沢をわたり、ひそかに息をこらしては林草の間をたづねてゆく。音こそきかね。道のはるかに立つ埃(ほこり)にも眼を病むのである。』

これは超空の人および歌の特質をよく見据えた言葉であった。超空の旅の歌の 「ひそけさ」 や 「かそけさ」 が持つ不思議な寂寥感ーーと白秋は言い、そこに尋常人の鍛錬(たんれん)によっては得られぬ、不気味なほどの底から光って響いて来る、未だかって見ないひとりの人の歌の本質を見た。

『若しかういふ旅人と山奥の径や深い林の中で遭遇ったら、それは明るい昼の日射しの下ではあっても、冷々とした黒い毛ごろもの気色や初めて触れて来るたましひの圧迫を感じずには、すれちがへない或るものがあらう』(同) とまで言っている。

「ひそけさ」 や 「かそけさ」 は、超空の歌にしばしば出てくる形容詞である。

またかと、うんざりする読者もあるかも知れないが、こういう言葉を、ただのセンチメンタリズムと受取ったら間違うのである。それは作者のはかりがたく深く意識の底から聞こえてくるうめき似ている。

そして、言葉の表面の意味内容とは別に、歌の底に沈んでいる一種の重苦しい不気味な暗さを暗示する。

それを感じ取ったればこそ、白秋は 「冷々とした黒い毛ごろも気色」 と言い、「黒衣の旅人」 と言ったのであろう。その「黒」は、人間性の根源の暗黒を示すものだ。

(以下割愛)
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