私は此の『空車』の後半部分を読むたびに、鴎外の『妄想』に書かれた或る箇所を連想する。その箇所を引用してみよう。(『空車』の前半部分は私は興味がない。)---------------------------(前略)自分は辻に立っていて、たびたび帽をぬいだ。昔の人にも今の人
中学生の頃、国語の教科書で読んだ人も多いだろう。後期の鴎外の一連の史伝での晦渋な語彙は此の短編にはなく、平易な文章で書かれているからだ。だからといって、安易な文章では決してない。鴎外流の無駄のない筋肉質な簡潔な文章は現在読んでも快い。大岡昇
10年程前、私は盛んに2CHを覗いていた。その頃の話だが、確か『溝口健二』のスレッドがあって、話題が溝口の映画『山椒太夫』に及んでいた。そのとき誰だが以下のようなコメントを書いていた。溝口の映画『山椒太夫』において、安寿を厨子王の妹にするのは、溝口は万
『通りゃんせ』という童歌がある。以下の歌である。----------------------------通りゃんせ 通りゃんせここはどこの 細道じゃ天神さまの 細道じゃちょっと通して 下しゃんせ御用のないもの 通しゃせぬこの子の七つの お祝いにお札を納めに まいります