掲題の本についての感想はネットで、いろいろと書かれているから先ずはソチラをご覧になれば、今更、この有名な本に私が蛇足を加える必要はない。とは言うもののソレデ オシマイ とするのはナンだから、蛇足を以下に付け足しておく。***ともかく『乾いた』
私は早起きである。朝、4時には起きている。床につくのは原則として午後7時。睡眠剤や精神安定剤を服用しての就寝である。その数たるや我ながらスゴイものであって、諸氏が其れを知れば驚くだろう。勿論、或る病院の『心のケア科』の医師との相談の上での服用
『成語林』という、故事ことわざ慣用句を集めた辞典がある(旺文社)。読んでいて、なるほど、と思う言葉が満載されている。この辞典に、誤用しやすい言葉が記載されている。賢明なる諸氏は、誤用することはないだろうが、私みたいな者は知っておきたい誤用例ば
クリフォード・A・ピックオーバー著、白揚社、日本語訳:高橋時一郎 他***今から約30年前、私は在職中にインタープリターBASIC言語を覚えさせられた。当時、たまたま見た科学雑誌に掲載されていた 『PCで作る"放散虫”』 の記事に私は大変、興味を覚えた。
以下は、よく有る話。***以前、私はBASICという時代遅れのプログラム言語を使って、自作のフログラムを作成し、絵作り遊びをしていたことがある。***かの有名なバートランド・ラッセルが、これまた有名な『ラッセルのパラドックス』を発見し数学界を震撼させ
いままで書いてきたのは、もう半世紀以上も前の、この本の感想文だ。この本は、著者たちがインタビューした、或る脳神経学者の言葉を紹介して終わっている。著者たちはその神経学者に、こう質問した。***『アインシュタインその他の物理学者は宇宙の法則につ
何故動物は夢をみるのか、ということの説明で、この本で紹介されていない他の説明が L.ワトソンの 『生命潮流』 という本に書かれている。--------------------------それは、そもそも、睡眠とは動物をジッと静止させておく “固定剤” の作用をさせるもので
胎児も子宮の中でREM (急速眼球運動) つまり夢をみているそうだ。新生児も1日の約半分は夢をみているそうだ。犬や猫も夢をみているらしいのは私は経験的にわかる。連中も寝言云うときがあるから。その寝言もワンとかニャーの変形音を発するのだから笑ってし
(ジュディス・フーバー、ディック・デイック・テレシー著、白揚社)この本の初版(英語版)は1986年で、日本語訳が出版されたのは1989年。この本を私が初めて読んだ(日本語版)のは、'89年の師走だったが、もう半世紀以上過ぎた。この本は実に面白い本で翻訳も、
『老いぬれば心あわたゞしと言ふ言(こと)の、 こころ深きに、我はなげきぬ』***『心あわたゞし』とはどういうことだろう。それは人それぞれによって違うだろう。私は? それをこんなところに書いても仕方がない。ただ、それは擦り傷が
夕空の さだまるものか。 ひたぶるに 霄(は)れゆく峰に、むかひ 居にけり 山中にわが見る夢の あとなさよ。覚めて思ふも かそかりけり山中にさめ行く 夢のこゝろよき思ひに 沁みて、 はかなきものあり。 (釋超空)
深山木の冬のしげりの深き山。深山木(みやまぎ)の冬のしげりの深き山。 たゞひと木ある花の かそけさ。 (釋超空)***今年は既に一ヶ月もない。月日の流れを今年ほど速く感じた年はなかった。春には花が咲いたことさえ知らずに過ごした。夏は突然やってきて
わが庭のやつでの広葉 ゆすりたち。 さやかに こゝを風の過ぎゆく 』***父が病死し、その後、母も病死して、もう何年たつのだろう。わたしは父の居ない母宅に六年寝泊りした。その母宅には、"やつで"が植えてあった。丈夫な植物で何の手入れを
当地では、ここ数日、鬱陶しい日々が続いている。私は、ふと、釋超空の詩集を読みたくなった。以下は私の好きな詩の一つである。*** いにしへや、かゝる山路に 行きかねて、 寝にけむ人はころされにけり 雨霧のふか山なかに息づきて寝るすべなさを 言
『山深く こもりて響き風の音。夜の久しさを堪えなんと思ふ。』***私は毎朝、散歩をしている。以前より私は、めっきり元気がなくなって歩く歩数もだいぶ減ってしまった。ここ10年程其の散歩を続けているのだが、ときどき出会う犬が三匹居た。その一匹は飼い
釋超空の歌三つ。『山の夜に 音さやさやし。 聴こえゐて、夜ふくる山を おもへり。』『雪ふみて さ夜のふかきに還るなり。 われのみ立つる音の かそけさ 』***作者は民俗学探求の旅の途中、宿をとった。人里離れた奥山の底の宿である。夜
『山びとの 歳木(としぎ)樵(き)りつむ音ならし。 夕日となれる庭に かそけき 』『歳木(としぎ)』とはなんだろう。ネットで調べてみた。1 新年の燃料として、暮れのうちに用意したたきぎ。2 戸口や門松のそばなどに置き、年神に供える木。節木(
『鳥のなく山を おり来てたそがれぬ。 つひに一つの その鳥のこゑ 』***作者は今朝も宿主の人に別れの挨拶をして山に入った。ひとすじの道が、どこまでも続いている山だ。いくつの峠を越してきただろうか。もう黄昏(たそがれ)てきて山の向こうは、も
『 直面(ひたおもて)に たゝひ満ちたる暗き水。 思ひ堪へなん。 ひとりなる心に 』***私の本では、このうたの後のほうに以下のうたが掲載されている。『 暗闇の 雲のうごきの静かなる 水のおもてを堪へて見にけり 』
『 目のまへに、ゆるゝ一木のまだ見えて、 このゆふぐれの 山のしづけさ 』***結局、この世界なんだな私が惹かれるは。結局、人の心は、その人しか分からない。他の人の心の中を土足で入るようなことは、もう止めよう。***想像しよう。作者は広い野
『とまりゆく音のまどほさ。目に見えぬ時計のおもてに、ひた向ひに居り』***私は古語の知識は皆無だ。たしか高校生の頃『古語辞典』はもっていたと思うが、はるか遠い昔に捨ててしまった。掲題の歌の『まどほさ』の意味が私は分からなかった。古語かも知れな
『 病む母の心 おろかになりぬらし。 わが名を呼べり。 幼名によび 』***これは釋超空のうたの独断的感想だから、釋超空の個人的な境遇などは私はあまり関心はないのだが、掲題のうたには個人的に少し思うところがある。掲題のうたから予想すると釋超空
『 おもしろく 世にあらなむなど思へども 人厭ふさがは つひにさびしも 』***『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角この世は住みにくい。』ご存知、『草枕』の冒頭の一節である。各人の事情の差・程度の差はあ
『 過ぐる日は はるけきかもと 言ひしかど、 人は すなわち はるけくなりつ 』***私の家の近くに運動公園がある。その公園の入り口近くに、小さなツツジの群れが、その公園を囲むように植えられている。もう何十年前になるだろうか、その頃は私が飼
『夜ふかく 薬をつかひ起きゐたる憂きならはしも、今は絶えたり 』***精神科医・飯田眞の小論によると、釋超空というより折口信夫は、彼の民俗学研究に没頭するとき、『コカインを濫用しながら、不眠不休にて仕事に勵』んでいたらしい。釋超空における歌と折
『かたくなに 人な憎みそ。 をとめ子は あしきも よきも、 愛(かな)しきものを***以前、紹介した、飯田眞という精神科医による『折口信夫 診断・日本人』と題された小論に以下の記述がある。釋超空は女性恐怖症だったと言うのだ。『第二は女性恐怖に
『 しづかなる秋のひと日や。 うつらうつら さびしき音を 聞きとめて居り 』***スモーク・ツリー(smoke tree)という樹をご存知だろうか。私の部屋の窓から、その樹が真正面に見える。落葉樹だから、今、葉を落としつつある。この樹は初夏頃、綿を
『 水底(みなそこ)に、うつそみの 面わ 沈透(しづ)き見ゆ。 来む世も、 我の 寂しくあらむ 』***ちょっと気分転換するため、インターネットで『釋超空』を検索してみた。そしたら、飯田眞という精神科医による『折口信夫 診断・日本人』と題
『 いにしへや、 かゝる山路に 行きかねて、 寝にけむ人は、 ころされにけり 雨霧のふか山なかに 息づきて、 寝(ぬ)るすべなさを 言ひにけらしも 山がはの澱の 水(み)の面(も)の さ青(を)なるに 死にの いまはの