mixiユーザー(id:59308909)

2016年08月15日09:11

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俳句は『解説』できるのか?

私は俳句はズブの素人です。先ず、それを念頭においてもらたい。
ちょっと思うところがあって以下を書いた次第です。

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此処で 『解説』 という意味は、例えば其の俳句に使用された文字等の説明という意味での『解説』ではありません。

例を出すのが早いでしょう。有名な芭蕉の

『古池や蛙(かわず)飛び込む水の音』

をWikipedeaで検索すると、この俳句について詳細な 『解説』 が書かれています。

私の此処で言いいたい 『解説』 は、そういう意味での『解説』ではありません。

私たちが此の俳句を読んで (読むというより観て) 或る興趣を感じます。

その興趣を私たちは 『解説』 できるのでしょうか。

恐らく、これは単なる私見ですが、その 『解説』 は限りなく不可能に近いと思われます。

私たちが此の俳句から感ずる興趣は、極めて繊細で微妙なものであるに違いなく、たとえ其の興趣の『解説』ないし『説明』を試みても、そこから抜けおちていく 『なにものか』 があると私には思われます。

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ここで数学と比べてみると分かり易いでしょう。

『平面幾何において三角形の内角の和は180度である。』

この命題に対して万人か゛納得する完璧な 『解説』 は存在します。

しかし、上記の芭蕉の俳句には、『私』 が感じた興趣の 『解説』 は万人どころか他人一人にさえ存在し得ないと私は思います。

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上に書いたことは、むしろ常識で、なにを今更と嗤う人が多いと思われます。

しかし、例えばWikipedeaで書かれていることを、我々は、私が言う意味での 『解説』 と捉えがちではないでしょうか。

おそらく俳句にとって最も肝要なことは、そのような 『解説』 の解読では全くなく、『当該俳句を如何に興趣するか』 にあるのでしょう。

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上記したことは、なにも俳句に限らず、芸術一般に言えることでしょう。

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