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2015年10月11日20:38

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“言葉の初発”についてのイメージ

昨日の日記で引いた定方さんの文章は、「言語」のイメージとして、例えば「水」を指示したい時、言葉によって世界を「水」とそれ以外のものとに二分する、というように書かれていました。

こうしたイメージの仕方は、「言語」を何ほどか理知的なもの、ロゴスにかかわるものとして考えているところがあって、西方の「初めに言葉があった」というような言い方に近いところがあるのかも知れぬ、とも思います。

かつて丸山圭三郎さんが説かれていた、身分け → 言分け というのもその伝でありましょう。

その一方で、思い出されるのは、吉本隆明さんが『言語にとって美とはなにか』で書かれていた“言葉の初発”のイメージ……初めて海を見たひとが「う…」と発声した……という場面です。もちろんこれは吉本さんの創作でしょうが、“言葉の初発”について、さあ、あなたは「水」と「う…」と、どちらの説に親近感を抱きますか? という問いがここにあるのではないかと思います。

はい、僕は吉本説です。最初は情動とか感嘆とか、そういうものと切り離されぬ発声があって、それがその後整序されて、事後的に見れば、身分け → 言分け の説で言語を考えても不自然ではない、というようなことになったのではないでしょうか。

これは、人間とはいかなる存在者かという問いに対する答え方とも通じるところがあって、カール・マルクスは『資本論』の「労働過程」論で、対・自然の(目的意識的な)生産労働のシーンで人間を他の自然存在と分かちましたので、言語論として言えば、身分け → 言分け の立場に連なるでしょう。

一方で、「歌ふ」は「訴ふ」に由来する、というようなことを言えば、そこでは相聞のシーン、エロスのシーンで人間という存在者を見ているということになると思います。最初、僕はマルクス派だったのですが、なにごとも生産労働を基本として人間を考えるというような視角は、近代的な人間観を歴史貫通的な人間観へ不当に敷衍するものなのではないか、と思うようになりました。

まことに歌は深い。


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