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2014年12月27日07:12

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アカデミー賞9部門ノミネートで、助演女優賞だけ受賞したコメディー、シドニー・ポラック監督「トッツィー」(1982)再見。

作品賞・監督賞・主演男優賞など9部門の候補となりながら、ジェシカ・ラングの助演女優賞だけの受賞に終わった少しシリアスなコメディーです。売れない舞台俳優マイケル・ドーシー(ダスティン・ホフマン)が生活に困り、女装してテレビのソープオペラに出演し人気を博するという物語。

まず問題は、ダスティン・ホフマンが女装して女優で通じるかどうかという部分です。「お熱いのがお好き」でトニー・カーティスとジャック・レモンが女装したときは、マリリン・モンローが全く疑問を持たずに信じ込んでしまうあたりで納得しました。今回もジェシカ・ラングやジーナ・デイビスらがすんなりと納得してしまうのですが、チャールズ・ダーニングやダブニー・コールマンが簡単に信じてしまうあたり、僕には納得できない。

これはあくまでも、僕が納得できないというだけですが、「お熱いのがお好き」で“彼女”たちを追うのがジョー・E・ブラウンだったことも大きいと思います。つまりカリカチュアとして成立していた。この「トッツィー」だと、女装したドロシー・マイケルズを男のマイケル・ドーシーだと知っているエージェントが出てくるわけで、それを監督のポラックが演じているというあたりにも納得ができません。ビリー・ワイルダーはエージェントと彼女たちを会わせていませんから。←こういう“抜き”を、日本映画で活用してほしいな。

そういえば僕がミクシィで日記を書き始めたころに、シドニー・ポラックは亡くなったんでした。僕にとっては“人生で最高の映画”を監督した人です。だから彼の新作を見るときはいつも、「ひとりぼっちの青春」を越える映画を期待してしまいます。遺作が「ザ・インタープリター」か、友人の建築家フランク・ゲーリーのドキュメンタリーか、そのどちらかなので、その願いはかないませんでした。

「トッツィー」の原題は、親しみをこめて少しふざけた言い方の“ねえさん”という意味だそうです。そんなことすら公開時に調べなかったな。確かにテレビ番組のディレクター(ダブニー・コールマン)が、自分と昵懇のジュリーだけ名前で呼び、その他を“トッシー(と聞こえます)”と呼んだので、ドロシーが文句を言う場面がありました。赤ちゃん言葉の“あんよ”という意味もあり(イギリス語?)、そちらの場合発音は“トッツィー”だと大修館の辞書にありました。

共演者で覚えていたのはジェシカ・ラングとテリー・ガーだけでした。テリー・ガーはたいていこういう“かわいそうな役”でしたね。でもマイケルと決別するときに、“私はプロの俳優だから、仕事はする”と毅然として言い放つシーンはよかったな。そしてマイケルのルームメイトがビル・マーレーだったんですね。全く忘れていた。ジーナ・デイビスはテレビ番組で楽屋がドロシーと同じという設定。大柄なので下着姿に迫力があります(写真2)。テレビカメラのそばにいる黒人女性ADが見た顔だと思ったら、リン・シグペンでした(写真3)。「ランダム・ハーツ」や「インサイダー」に出ています。若い(あたりまえか)。

とりあえず、マイケルが俳優の卵たちに教えていることを実践する羽目になり、ジュリーへの思いとジュリーの父親のドロシーへの思いなどなど、いろんな形で自分が行っている仕打ちが自分に戻ってくるという、倫理的なドラマの構造は興味深く見ましした。とはいえ、人生の伴侶とする映画ではなかったな、と残念だったのです。←公開当時と今の印象が、ほとんど同じというあたりも残念。

しかし「ひとりぼっちの青春」があるかぎり、シドニー・ポラックのことは絶対に忘れませから。
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