今日は予定通り休暇を取って両国の江戸東京博物館へ。
狩野一信(かのう・かずのぶ)の五百羅漢展に行ってきた。全百幅一挙公開ということで、こういう機会はそうそうないと思われる。
増上寺に収蔵されているのだが、全幅展示というのは初めてのことらしい。
狩野一信は江戸後期の絵師。
五百羅漢図は間違いなく代表作と言えるだろう。一幅に対し羅漢を五人ずつ、百幅で五百人という壮大な代物である。しかし、完成を目前に一信はこの世を去る。よって、最後の数幅は彼はほとんど関与していない。それが何幅なのかは専門家の間でも意見が異なるようだ。
まあ、細かいことはいい。彼が直接筆を取らずとも、彼の意思が反映されたものであることは間違いないだろう。
ちなみに、羅漢とは簡単に言ってしまうと仏教の悟りの境地に達した人で、まあ超人という位置付けと言ってもそう間違ってはいないだろう。
一信も奇想の絵師だなあと改めて思う。
羅漢の日常生活や奇跡を行なう場面など、いくつかのテーマに分類されるが、圧倒的な迫力にただただ呆然としてしまう。さらに細部までおろそかにしない精密さ。なるほど、タダモノではないわけだ。動的で劇的な作品も多く、妙な言い方だがスペクタクルな迫力がある。
西洋の宗教画が画面に閉じ込めた感じがするのに対し、一信の作品は画面から飛び出してきそうな勢いがある。動き回る羅漢たちを無理矢理押さえ込んだという感じだろうか。それゆえか、構図としては歪みが出ているようにも思われ、それがかえって躍動感となっているような気がする。
計算ずくだとしたら(間違いなくそうだろうが)、一信恐るべしである。
確かに最後の何幅かは画面の緊張感に欠ける気がしないでもない。余白が多いようにも思う。しかし、もともとが平穏な場面だからということも言えそうだ。
一概に質が落ちたとも言えないような気もするし、模倣は模倣の域を出ないとも言えそうだし、なかなか判断が難しい。
とはいえ、一信の遺志を継いで完成させた彼の妻や弟子たちには敬意を表したい。
ちなみに彼の妻は後に出家し、増上寺に羅漢堂を建て、この五百羅漢図を収蔵し、月毎に掛け代えて人々に絵解きを行なっていたという。
賢妻だったのだなあと思う。
やがて戦災で羅漢堂は焼失し、改めて増上寺に収蔵されることになったものの、公開する手段を失ってしまったということのようだ。
ここでも戦争が影を落としているわけだ。
五百羅漢図が焼失を免れただけでも良かったのかもしれないが…。
1日という限られた時間ではその全貌を掴むことはできない。
本来なら何日も通いたいところであるが、それを言っても詮無いこと。
ただ圧倒されるだけでも行った意味はあると思う。
五百羅漢展がどんなものなのかはHPを見ていただくのがいちばん早いと思う。
http://500rakan.exhn.jp/top.html
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