唐突だが、私は新選組が好きである。
幕末に咲いた徒花、簡単に言ってしまえば暗殺集団である。時代の狭間に翻弄されたというよりは、自ら進んで飛び込んでいったという方が正しいのだろう。坂本龍馬が正義の象徴だとするなら、新選組は負の象徴とも言えると思う。誤解を恐れずに言えば「馬鹿」である。それゆえに思い入れが強くなるのかもしれない。
大きな声では言わないが、私にとっては龍馬は正しすぎる。ほとんど魅力を感じない。逆に、ある意味新選組には滅びゆくものの悲しみというようなものがあると思うのだ。
もともと新選組は多摩にゆかりが深いこともあり、調布出身の私にとっては近しく感じるというのもあった。時代劇好きの親父に小さい頃から近藤勇の墓や、土方歳三ゆかりの大国魂神社に連れて行かれたということも影響していたかもしれない。
すぐ近くの警察署で剣道を習うようになってから、憧れの剣士はやはり沖田総司だった。小学生の頃、私はどうにも気管支や胸が弱く、肺を病んだ沖田に自分を重ね合わせていたのかもしれない。余談だが、私がフルートを習うようになったのは、呼吸器を丈夫にするのにいいと両親がどこかから聞きつけてきたことによる。質実剛健をモットーとする親父にとってひ弱な息子はなんとも不甲斐なく見えたことだろうと思う。
沖田のほかに憧れたのは斎藤一である。凄腕揃いの新選組の中でも一二を争う使い手と言われる剣士である。後にこれもかなりの使い手とされた永倉新八が伝えたところによると「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」だったそうである。
歴史上名を残す剣士の中で沖田ほど実戦で人を斬った者はいないだろうと言われる。おそらく、斎藤も同様だろう。
あの時代、今とは価値観の違う乱世である。
早世した沖田と異なり、斎藤は最後まで土方に付き合い、その後の明治になっても生き抜いた。
剣の腕は衰えることなく、高等師範学校の剣術指導をしていたようである。伝説化した沖田と違って、記録がいろいろ残っているぶん存在に現実味がある。
まあ、新選組については史実と創作が入り混じっているので、何が事実なのかは判断しかねるものが多いのが実情である。
彼のエピソードとしてひとつ紹介しておくと。。。
ある少年が木の枝に缶をぶら下げて突きの練習をしていた。そこに年老いた男が通りかかり、少年から木刀を借り、やおら缶を突いたという。その男は木刀を少年に返すと何事もなかったかのように去って行った。少年が全く動かなかった缶を見てみると、木刀で突いた穴が見事に開いていたそうだ。
まさに戦慄すべきほどの腕と言えよう。
さて、その斎藤一を主人公にした小説を浅田次郎が書いたというので、早速ゲットしてきた。
『一刀斎夢録』という上下巻。
まだ読み始めたばかりなので何ともいえないが、出だしから引き込まれるような魅力がある。新選組の頃ではなく、明治になってからの話らしい。
しばらく楽しませてもらえそうだ。と言いつつ、一気に読んじゃったりして。
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