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2010年10月21日22:39

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悲愴をめぐるあれこれ

今月末の日曜にオーケストラを聴く。自分にとってのお目当てはハルトマンの交響曲第6番なのだが、プログラム上のメインはチャイコフスキーの『悲愴』である。
嫌いではない。というか、チャイコフスキーの3大交響曲は好きだ。5番はよく聴く。4番もたまに聴く。しかし、6番『悲愴』は最近ほとんど聴かない。
何故か?
別に理由はないかな、と思う。

バーンスタイン晩年のニューヨーク・フィルとの録音が気に入っていた。終楽章にめいっぱい時間をかけて、まるでマーラーのようなチャイコフスキーだった。DGに移籍した後のバーンスタインは「何を振ってもマーラー」と言われるくらい、身振りが大きくゆったりとしたテンポの演奏が多かった。なんだかんだ言いつつも私はバーンスタインが好きで、マーラーはもちろん、「マーラーのような」シューベルトもブラームスもシベリウスもチャイコフスキーも好きなのだ。
万人にお薦めすることはできないが、『悲愴』は今でも名盤だと思う。ただ、ちょっと胃もたれするかなというふうに思うこともなくはなかった。

改めて聴き直さなくても曲は覚えてしまっているからいいのだけれど、一応聴いておこうと思った。なんか久々に聴いてみたくなったのだ。しかし、バーンスタイン盤はどこに仕舞いこんだのかわからない。「探すよりも買って来た方が早い」現象だ。
そこで思い当たった。先日買ったDG111周年記念BOXに『悲愴』があったはず。
ムラヴィンスキー&レニングラード・フィルによる1960年の録音。未だに名盤と言われているものだ。
たぶん単独でこのCDを買うことはなかったろうと思う。というのは、LP時代あまりいい印象が残っていないからだ。
ストイックな演奏なのだ。楽譜に対してストイックというべきかもしれない。『悲愴』のエピソードやチャイコフスキーの人生や、そういったものを極力排除したしたところで成立している音楽なのだ。どれだけ楽譜に忠実なのかという点では、昔スコアを見ながらいろいろな演奏を聴き比べたことがあるのだが(第1楽章途中までと第4楽章だけだが)、ムラヴィンスキーは全く楽譜どおりだと感じた。しかし、すごいと思いつつも感銘は受けなかったのだ。

30年ぶりくらいに聴いて印象が変わったな。。。
あの頃はムラヴィンスキーの音楽を解する年ではなかったということか。そこに豊穣な音楽を聴くことができなかったのは自分が未熟だったからとしか言いようがない。
音自体はザッハリッヒである。ことに金管の音は乾いている。弦の艶やかさもウィーン・フィルの方が上だろう。しかし、一糸乱れぬアンサンブルから聴こえてくる音のなんと豊穣なことか。解釈云々という以前に音が音そのものとして存在している。楽譜以外の余分なものを削ぎ落としていった結果の美しさということだろうか。女性はすっぴんがいちばん綺麗、というのに似ているかもしれない。

ようやくこの演奏の素晴らしさに気付くことができた。
今まで気付かなかったとは不徳の至りである。

こうなると同時期に録音された4番も5番も聴き直したくなるな。。。

先述したバーンスタインの対極の演奏だと言えよう。
どちらも名演。だからこそ音楽はおもしろい。

今度振るのは何となく現代音楽のスペシャリストという印象のインゴ・メッツマッハーだが、『悲愴』をどう振るか楽しみになってきた。オーケストラは新日本フィル。
ブラームスの悲劇的序曲、ハルトマンの第6交響曲、それに『悲愴』。つまり、テーマは悲劇的ということだね。日曜の午後に悲しい曲ばかりを聴く、これもまたオツなものかもしれない。

ちなみに、私は第2楽章の5拍子のワルツ(?)が好きである。
デイヴ・ブルーベック・カルテットの『テイク・ファイヴ』と並んで最もわかりやすい変拍子なのではないだろうか。言い方を変えれば、口ずさめる変拍子。

蛇足のように付け加えるなら、メロディーの魅力という点では4番と5番の方が上だな。
『悲愴』と疎遠になっていたのはそんなところが理由だったのかもしれない。
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