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2012年07月12日23:01

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泣きのギターといえばこの人

ポール・コゾフ。
泣きのギターと言ったらこの人だろう。

実働期間は短い。
それもそのはず、1976年に25歳で夭折。ドラッグが原因の心臓病だという。
僅か7年程度の実働期間のうち、半分程度がフリーでの活動である。

ヘヴィ・ロック黎明期の名バンドとされるフリー。
私はこのフリーというバンドとポール・コゾフが大好きだ。
年を重ねるにつれ、ますますフリーに惹かれていく自分に気付く。
ブルース・ロックと言われているが、そんなことはどうでもいい。ミディアム調の曲が多く、若いのに枯れた音楽性を持っていた。粘りのあるリズムは確かにヘヴィではあるが、ハード・ロックとは異なる。行間を読ませるような渋いロックなのである。

ポール・ロジャース(vo)、ポール・コゾフ(g)、アンディ・フレイザー(b)、サイモン・カーク(ds)の4人で1969年にデビュー。
それぞれが個性的なメンバーだ。
ポール・ロジャースは多くのシンガーからリスペクトされるシンガー。若い頃から実に上手い。中音域を生かしたスタイルはソウルフルでエモーショナル。
アンディ・フレイザーの弾むようなベースは非常にテクニカル。
バンド・サウンドを支えるのがサイモン・カークの重いドラミング。彼の粘りのあるグルーヴがフリーのサウンドの屋台骨だった。

そして、ポール・コゾフ。

目覚ましいテクニックがあるわけではない。時代のイノベーターであったわけでもない。
咽び泣くようなギター。
ただそれだけで彼は歴史に残るギタリストとなった。
泣きのギタリスト数あれど、彼ほど泣くギターを弾く人はいないだろう。
「あのようなギターは弾けない」とエリック・クラプトンを驚嘆させたヴィブラート。
メロディでなくたって、彼がキュイーンと弾くだけで、その音は心を打つのだ。
唯一無二のギターを弾いたことでコゾフは多くの人の心に残る。

しかし、コゾフはギタリストとしては一流だが、人としては非常に弱かった。
ドラッグに逃げたのだ。
ロジャースとフレイザーの確執に胸を痛めていたという。
一度は解散したフリーだが、ボロボロになったコゾフを見て、彼を立ち直らせるためにフリーを再始動させる。そこで生まれたアルバムが『Free At Last』である。私が最も愛するアルバムだ。
仲間の気遣いを知ってか知らずか、コゾフは調子がいいときの方が少なかった。しかし、調子がいいときは神がかり的なギターを弾いた。
フレイザーはフリーとの訣別を決意する。相変わらずメンバー間の確執を悲しんだコゾフだったが、その原因が自分にあることを彼は知っていたのだろうか。

フリーはオリジナル・メンバーで5枚のスタジオ・アルバムを残している。『Tons Of Sobs』『Free』『Fire And Water』『Highway』この4枚はいずれも名盤とされている。ことに3rd『Fire And Water』の世評が高い。
それらに比べると『Free At Last』は散漫なできである。楽曲自体が練り込まれていない。しかし、それゆえのいわく言い難い味がある。落日の美しさとでも言おうか。滅びる寸前、ギリギリのところでかろうじてバランスを保っている危うさ、と言うべきか。
それゆえ私はこのアルバムを愛する。
さらに言うなら、ドラムがとってもいい音で録音されているのだ。
最後に収められた曲が『Goodbye』というのも象徴的だ。ここでのコゾフのギターはひたすら泣く。メロディーを奏でるのではなく、ただ泣くのみ。
「さよなら」は去りゆくフレイザーのためなのか、崩壊したオリジナル・フリーのためなのか、そしてもう戻って来ないだろうとわかってしまったコゾフのためなのか。

フレイザーが去った後、新たにベースとキーボードを迎え、5人体制で再起を図る。
しかし、コゾフの状態はますますひどくなっていた。
レコーディングが進まず、ゲストのギタリストを招かなければならないほどだった。
サイモン・カークは「もうコゾフとはやっていけない」と思ったと言う。
出来上がった『Heartbreaker』はそれでも生命力に溢れた好盤となった。しかし、コゾフの参加していない曲もあり、ゲスト扱いになっていたことにショックを受けたという。(ただし、コゾフが正式メンバーから外されたことはメンバーは誰も知らなかったらしい)
コゾフが精彩を欠いている場面も多く、キーボード加入でサウンドが華やかになり、やはりフレイザーの不在も大きく、個人的にはあまり聴くことのアルバムになってしまっている。

ここでフリーは解散。
そしてソロや自身のバンドを率い活動していたコゾフだったが、ドラッグに蝕まれた体は永遠の安息を求めた。飛行機の中で帰らぬ人となった。

彼の泣きのギターは彼の弱い(あるいは優しい)性格がもたらしたものかもしれなかった。
彼がしゃんとしていればフリーはもっと長く続いたのかもしれない。
ダメな男だが、人の心を震わせるギターを弾くことができた。それゆえにみんな愛想を尽かすことができなかった。
それなのに彼はみんなを裏切り続けてしまった。

やはり思う。
あのギターはダメな男でなければ弾けないだろう、と。

フリー解散後、フレイザーは若干の音楽活動を経て、プロデューサー業に転進し、ベーシストとして表舞台に帰ってくることはなかった。
ロジャースとカークはミック・ラルフス(g:元モット・ザ・フープル)、ボズ・バレル(b:元キング・クリムゾン)を招いてバッド・カンパニーを結成する。アメリカ市場を意識した音楽は成功という点ではフリーを軽く超えた。
バッド・カンパニーは嫌いではない。
しかし、ロジャースの歌もカークのドラムもフリーでこそいちばん輝いていたように思う。
それは感傷的に過ぎるだろうか。

Goodbye.
I hope we meet again.

しかし、その後4人が一堂に会することはなかった。

若くして晩秋を思わせる味わい深い音楽を奏でたフリー。
『Free At Last』は斜陽のきらめき。
夕映えの美しさ。そして、来たるべき夜が二度と明けないことを知った諦め。
1972年、オリジナル・フリー最後の作品に人生の悲しみを聴く。
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