銀座のスパンアートギャラリーに行ってきた。
ここはヴァニラ画廊と並ぶアンダーグラウンド系の画廊である。
しかし、ここは大通りに面した1階で、外からガラス越しに中が見えるので、入りやすい。外光が入るので中も明るい雰囲気だ。その代わり、アヤシイ趣には欠ける。
昭和中期に建てられたと思しき、江戸川乱歩の小説にでも出てきそうな古いビルの中にあるヴァニラ画廊とは対照的だ。なにしろ、ヴァニラは入口に置かれたガチャガチャで来廊者の気勢を削ぐ。ためらわずにここの扉を開けられた人は相当のツワモノと思う。室内には窓もなく、アヤシイことこのうえない。企画自体もスパンアートよりもヤバイものが多いようだ。
というわけで、スパンアートの方が敷居が低いということは言えるだろう。
「私の劇場2012 とある国の物語」と題された企画展。(7月7日まで)
出展作家は次の通り(50音順)。
イヂチアキコ、木原未沙紀、真条彩華、たま、成田朱希、丹羽起史、長谷川友美、花輪和一、深瀬優子、矢倉屋佳弥、横田美晴
少女主義的水彩画家たま女史の作品が展示されているということで行ってきたのだ。
(当初たまさんのサイトでも告知されていなかったので、ホントかどうかご本人に確認した)
たまさんの原画を観るのは4月の神保町画廊以来か。
(正確に言うなら毎日観ているのだから、外では、ということになる)
今回は比較的小さな新作5点が展示されていた。
入れ込んでいるからというのを差し引いたとしても、たまさんの作品はどのような企画展に入っても独特の存在感がある。簡単に言うなら目立つのだ。そして、観る人の足を止めさせる力がある。
細密に描かれた象徴画。
少女の姿を借りたエロスとタナトス。
私はたまさんの作品をそんなふうに思う。
少女を描く現代画家は少なくない。少女という特別な生き物は現代アートにおいて重要なテーマなのかもしれない。少女というのは不条理性を抱えた生き物だから、アートとして描かれる少女は可愛いだけのものではない。清純さや可憐さや儚さと相対するように残虐で醜悪で耽美なものが描かれることが多い。
アンビヴァレンツやエロスとタナトスといったキーワードは何も少女主義的水彩画家たま女史の専売特許というわけではない。
しかしだ、ほかの絵は食傷気味になるのに、たまさんの絵はいくら観ても飽きるということがない。
押し付けがましくないのだ。ほかの絵にありがちな「どうだ、すごいだろう」というようなあざとさが感じられないのだ。
たまさんの作品はおとなしくない。むしろ饒舌である。描き込まれた小物のひとつひとつに主張がある。しかし、それらは自分からは話しかけてこない。こちらから話しかけて初めて喋り始めるのだ。主役の少女も同じ。観る側が能動的に向き合っているかのようだが、実は絵の力によって作品世界に引っ張り込まれているのだ。
たまさんの絵の解釈は一通りではない。想像をはためかせ、ストーリーを組み立てられる自由さがある。いい意味で作者は作品の陰に隠れている。
ところが、自由なようでいて実はからめ取られている、というのが本当のところだろう。
もちろん、今回の企画展のほかの作品が劣っているということでは決してない。
どう感じるかは観る側の感性次第。究極、好みの問題と言い換えられるかもしれない。
目を引くものは少なからずあった。
名前を知る、その作品を観る。こういう企画展はそれだけでも行く意味がある。
そこで観た画家がいつかお気に入りになることもあるかもしれないのだ。
http://www.span-art.co.jp/exibition/201206watashinogekijo/index.html
(下の方にたまさんの作品が1点紹介されている)
今回はたまさんの作品を購入することは自重した。
秋の個展に備えなくてはならないからだ。
なのだが、やはりほしくなってしまう。悩ましいところだ。
個展のたびに1枚、と思っていたのだが、何故かすでに5枚。。。
その中には特に人気の高い作品もある。
しかし、いくら人気があっても、誰も原画を観ることはできないのだ。
美を独占するということの贅沢さと傲慢さ。
いずれはなんらかの形で披露することができれば、と漠然と考えている。
コレクターから借用した作品を含めての個展が企画されると、こちらとしてはいちばん手っ取り早いし、そういう展覧会を観てみたいと思う。
ログインしてコメントを確認・投稿する