「ベルギー幻想美術館」と題された展覧会に行ってきた。本当はもっと早くに行くつもりだったのだが…。
9月23日はデルヴォーの誕生日だそうで、それにちなんでこの連休は先着でベルギーのお菓子がもらえるという。というわけで、早起きをして行くことにした。お菓子につられるなんて子どもかよ。。。
もちろん、ベルギー・チョコをゲット。
ベルギー近代には注目すべき画家が多い。ベルギー象徴派なんかその最もたるものだ。しかし、日本ではイマイチ知名度が低いか…。日本は印象派の人気が高く、その印象派の対極を行くような作風ゆえにあまり受けないのかもしれない。また、同時代のウィーンの画家(ウィーン分離派など)と比べると、象徴主義と言われるだけあって、直截的表現を避けているとも言える。どちらが優れているかを論じるのはナンセンスなのだが、過小評価されているのは間違いないと思う。
そもそも美術史上最も重要と思われるアンソールでさえ、奇妙な仮面を描いた変な画家くらいにしか思われていない。いや、変な画家なのは間違いないんだが…。それはともかく、実際は表現主義の先駆けとして語られるべき存在だ。人間の負の部分を仮面という姿を借りて描いた作品は不気味でありながらもどこかユーモラスでもある。
今回アンソールの作品では32点組の『キリストの生涯』と題されたリトグラフがよかった。宗教的題材を扱いながらもいかにもアンソールという雰囲気がたまらない。さすがアンソール、と言いたくなる。
写真左は後期には珍しく静謐な画面の『果物、花、裸にされた光』。右下に仮面はいるのだが…。
ベルギー象徴派というと、フェルナン・クノップフ、フェリシアン・ロップス、レオン・スピリアールト、ウィリアム・ドグーヴ・ド・ヌンク、ジャン・デルヴィルといったあたりが著名なところか。と言っても日本でポピュラーなのはクノップフくらいか。それも一時期は「妹に恋した」という枕詞が付いて回った。おそらく妹のマルグリットをモデルにしたと思しき女性像が今回もやはり印象的だった。
個人的にはスピリアールトとドグーヴ・ド・ヌンクが好きである。
寂寥感の漂う画面のスピリアールト、人外境のような不思議な空間のドグーヴ・ド・ヌンクと言うことができるだろうか。作風は異なるが、強い孤独感と冷たく澄んだ空気感という点で共通している。ベルギー関連の展覧会に通ううちにすっかり気に入ってしまった。
ただ、今回は点数が少なかったのが残念。
写真中央はドグーヴ・ド・ヌンクの『夜の中庭あるいは陰謀』。
さて、もっと新しい時代になるとシュールレアリスムの大家2人の登場となる。
マグリットとデルヴォーだ。
精密なタッチとだまし絵のような重層的な構造を持つマグリット作品は人気が高い。マグリットの作品が展覧会の中に数点あると非常に栄える。逆に言うと、マグリットばかり続くと飽きる。最近はまとまって観ると、自己模倣の繰り返しだったのではないか、という気がしてしまう。もちろん、今でも好きな画家なのだが。
デルヴォーは昔から変わらず好きである。汽車と骸骨を偏愛し、無表情な裸のおねえさんをいっぱい描いたデルヴォー。白昼夢のような世界。デルヴォーの描く女性は綺麗な顔で白い肌をしている。しかし、表情に乏しく、現実感に欠ける。まるで音のない夢の世界。顕在意識と潜在意識が交錯する。現実と夢との錯綜。「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」と言った乱歩の言葉を思い出す。ひんやりとした儚い幻。。。
写真右はデルヴォーらしい油彩の大作『海は近い』。
今回は姫路市立美術館の収蔵作品をそのまま移設してきたという箸休め的な企画なのだろうが、興味深い展覧会に仕上がっていた。これほどのコレクションを揃える姫路市立美術館に驚嘆する思いだ。
ただ、通常の企画展と比べると、やや満足度には欠けるか。リトグラフが多く、それはそれで興味深いのだが、やはり軽めの印象になってしまったのは否めない。ベルギー象徴派の作品が思いのほか少なかったのもちょっと残念だった。
あと、どうでもいい話だが、会場内に休憩用に設けられた椅子がある。これが展覧会によってデザインが変わるのだ。今回はゴブラン織りのシートだった。こうしたちょっとしたこともいい感じだ。
多少バラつきはあるにしてもBunkamuraはユニークな展覧会を企画している。これからもがんばって欲しい。
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