最近はクラシックを聴くことが多いので、必然的にコンサート・ホールあるいはリサイタル・ホールに行くことが多い。
きちっとしたスタッフに迎えられ、クロークで上着を預け、開演まであるいは休憩時間をゆったりとしたホワイエで過ごす。シャンパンあたりを飲みながらといきたいところだが、眠くなるのでめったにやらない。
優雅である。
そんな気がするだけだが。
まあ、それはそれとして、静かな中で耳を凝らして聴くというのが習慣になってしまっている。
そうは言っても、ポップ/ロック系のライヴだって聴かないわけではない。
先日のハルカトミユキのライヴを観て改めて感じた。
なんであんなに音がデカイんだ?
音が割れるし、ダイナミック・レンジが狭くなるので平板な印象になる。
何より声を殺してしまう。
ハルカトミユキの二人のパフォーマンスは良かったのだが、バックの演奏が爆音すぎる。そもそも三人の演奏は70年代からロックを聴き続けてきたオジサンを満足させるには全く至っていないのだが。
まあ、それはいいとして、それよりもハンパでない音のデカさ。
大きけりゃいいってものではないことくらい、いい加減に気付けよ、と言いたい。
ハコの大きさに合わせて、それに見合ったセッティングをして欲しい。
もっとも、デカい音というのはロックの悪しき伝統でもある。ロックは大音量であるべきという風潮があったのも確かなのだ。大きな会場で演奏することが多くなったこともそれに拍車をかけた。
そしてその悪しき伝統のみが生き残っているということなのだろう。
なので、若い人たちにとってはそれが疑いようのないあたりまえのことなのかもしれない。
大きすぎる音では、伝えられることよりも伝えられないことの方が多くなる。
昨年ヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレイターという英国プログレ界の重鎮バンドが来日した。
これが素晴らしい音だったのだ。音はそれなりに大きいのだが、割れるようなこともなく、微妙なニュアンスまで聴き取れた。
なので、できないわけではないのだ。
ただ、大音量を求めている人がいるのも確かなのだろう。
彼らは体で音を感じるのがいいのだ、と言う。それはわからないでもない。
大音量でも爆音でもいい。微妙なニュアンスや歌詞が聴き取れるなら。
音響技術者にはその難題に挑戦して欲しいと思う。そしてミュージシャンには何を聴かせたいかで音響を考えて欲しいと思う。
などと言うのも年寄りの戯れ言なのだろうか。
これから少子高齢化が加速するのだから、年配の客を取り込むことも考えていかないと。
黒木渚のライヴを観たいような気がしてきた。
6月1日に下北沢でワンマンがある。土曜だしな。爆音だろうが…。
家でCDをかけていたら、たぬ〜はハルカトミユキよりも聴きやすいと言っていた。普通逆だろう、と思うが、意外にダークなものに慣れているのかもしれない。
説得してみるかなあ。スタンディングだけど。
黒木渚についてはこちら。。。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1897864111&owner_id=3696995
黒木渚の『あたしの心臓あげる』のPV。
ついでにハルカトミユキの『絶望ごっこ』。
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