エゴン・ヴェレス(Egon Wellesz、1885〜1975)という作曲家をご存じだろうか。
オーストリアの作曲家だが、ユダヤ人ということもあって、イギリスに移住し、そこで活動した。9曲の交響曲を残した名実ともにシンフォニストである。
オーストリア人と生年を見てピンと来た人はさすがである。
あのシェーンベルクの弟子、つまりヴェーベルンやベルクと同門ということになる。ベルクとは年も近い。彼らは新ウィーン楽派と呼ばれる。新しい音楽語法を切り拓いた人たちだ。そうした本を読むとヴェレスの名前を見かけることがある。実は「新ウィーン楽派」という名称はヴェレスが付けたらしい。新ウィーン楽派第四の男ということになるのかと思う。(ツェムリンスキーは違うし、レイボヴィッツは関連が薄いように思う)
ところがヴェレスが交響曲を書き始めたのは60歳を過ぎてからである。
しかもその作風は後期ロマン派から表現主義的な無調を経て十二音に辿り着くという具合に番号を経るごとに変わっていく。まるで19世紀末から20世紀初頭の音楽史をなぞっているかのように錯覚してしまう。
これはヴェレスの音楽性の変化によるものではないと思う。
音楽史の狭間を埋めるべく彼は交響曲を量産したのではないか。そんなふうに思う。
というのも、マーラーの後、独墺系からは目立ったシンフォニストが現れていないのだ。交響曲は独墺系を中心に発展していったものである。そういう意味で本家の沈滞は由々しきことだったのではないか。
師匠のシェーンベルクは室内交響曲を2曲書いたのみ。兄弟子のヴェーベルンも先鋭的な、しかし従来の交響曲とはかけ離れたヴェーベルン的交響曲を1曲書いたのみ。ベルクに至っては書くことさえしなかった。
マーラーの後継者たる独墺系シンフォニストはカール・アマデウス・ハルトマン(1905〜1963)の登場まで待たねばならなかった。
そして、ヴェレスはマーラーからハルトマンまでの狭間を埋めるかのように、技法の変遷をなぞるかのようなシンフォニーを書いたのではないだろうか。
というのは私の勝手な考えである。穿ちすぎな見方かもしれないというのは承知している。
ただ、そういう背景は置いておいたとしても、その作品はなかなか素晴らしいものだ。
どの曲も世紀末的な雰囲気がプンプン漂っている。
もちろん、番号が若い方が聴きやすいということは言える。もっとも、後半の十二音にしても、使い方がこなれていて、ストイックな音列音楽に徹しているわけではないので、思いのほか聴きやすいと思う。作風として近いのはベルクかなあという感じだろうか。と思ったのだが、やっぱり違うな…。
やはり戦後の現代音楽を聴いているというよりは世紀末音楽を聴いているという感じが強い。
雰囲気や世界観はハルトマンに近いかもしれない。
ペッテションの全集と合わせて買ったのがこのヴェレスの全集4枚組。
演奏はゴットフリート・ラプル&ウィーン放送響。初めて聴く曲ばかりなので演奏の良し悪しはわからないが、音が聴けるというだけで十分だし、録音もなかなかいいようだ。このCPOというマニア御用達レーベルは演奏の質は相当高いのではないかと思う。naxosと違ってバラツキが少ないのではないか。
エゴンというファースト・ネームでまず思い浮かぶのは同郷の画家エゴン・シーレであろう。
年代的にも近い。というわけなのだろう、ジャケットには全てシーレの作品が使われている。こういうセンスも評価したいところだ。
こういう音楽を好む人はそんなに多くはないのかもしれないが、そういう人にとってはかけがえのない宝物となることだろう。
こういう世紀末的で耽美的で頽廃的なシンフォニーというのは、ありそうでないような気がする。スクリャービンもそうした雰囲気が濃厚だが、あちらはもっと感覚的で幻想的なように思う。ヴェレスは重厚で思索的だ。
どの曲もいいのだが、2番、3番、5番が特に気に入った。
そして最後の9番。より抽象的な世界だが、表現主義的でとんがっている。とても90近い爺さんが書いたとは思えない。全然枯れてねえじゃん。
とにかく曲によるバラツキが少ない。相当作曲スキルが高かったのだろうと思う。
全体的に暗い色調だが、オーケストレーションは分解能が高く、緻密である。マーラーとヴェーベルンをつなぐような位置付けのように聴こえる。
こんな曲たちが忘れられていたなんて…。
世界は広いんだな。
もし、あと30年、せめて20年早く交響曲を作っていれば、ポスト・マーラーのシンフォニストという名声を得られていたかもしれない。
ペッテションもすごかったが、ヴェレスも素晴らしい。
知られざる大物、まだまだたくさんいそうだ。
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