今日のネタはこれで決まり。毎年これだ。。。
マーラーの命日である。
今年が没後99年。
ちなみに、生誕150年でもある。
今でこそマーラーは人気作曲家としてCDの数も多いし、コンサートで取り上げられる機会も多い。作曲家としては不遇だったマーラーが「やがて私の時代が来る」と言ったように、この不安の時代だからこそマーラーの音楽が求められているのかもしれない。
私がマーラーを聴き始めた頃は、録音自体がまだ少なかった。全集を録音していたのはバーンスタインとクーベリックとショルティのみ。ただ、ちょうど当時の若手(アバドやメータやレヴァインなど)がこぞってマーラーを録音し始めた頃でもあるし、カラヤンが取り上げて話題になっていた頃でもある。
隔世の感があるな。。。
マーラーほど好き嫌いがハッキリ別れる作曲家もいないのではないかと思う。
好きな人は徹底的にはまる。それこそ抜け出せないくらいに。麻薬的な魔力があるのだ。
ある意味でマーラーの音楽は人間の弱いところを刺激する音楽だと言える。常に死の影がチラつき、輝かしい未来を保証してくれるものは何もない。マーラーがその音楽で追い求めたのはひとことで言えば「人はどこから来て、どこへ行くのか」ということなのだと思う。キリスト教的価値観が崩壊した世紀末という時代を象徴する音楽だったのだと思うのだ。
まあ、嫌いな人は徹底的に嫌悪するだろうし、好きな人は耽溺してしまう。
だから両者が話をすると全く噛み合わず、不毛の議論となる可能性が高い。
自分とは好みが違うのだな、とお互いにあっさり引き下がるのがよろしいかと…。
マーラーの難点は曲が長いということだ。シンフォニーの多くは1時間を優に超える。最も長い3番は1時間40分ほどかかる。曲が長いこと自体に問題はない。マーラーの曲は長くても飽きることはないのだ。
ただ、時間のやりくりが難しいのだ。日常の中でそれだけのまとまった時間を取るというのが意外に難しい。特定の楽章だけ抜き出して聴くというのはあまり好まないのだが、そうしてしまうこともある。小説のある部分だけ取り出して読んでいるようで落ち着かないのだが…。とはいえ、たとえば『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」のところだけをピックアップして読むということもアリだから、そういう聴き方も許されるだろうと思うことにする。
もしマーラーがもう少し長く生きていたら、といつも思う。
もう少し長く生きて、あの悲惨な世界規模の大戦を見たとしたら、マーラーはどんな音楽を書いたのだろうか。その次の大戦まで生きていたとしたら、マーラーはユダヤ人として追われることになる。そうしたら、どのような音楽を遺したのだろうか。そんな想像をしても詮無いことではあるけれど、ついつい思いを馳せてしまうのだ。
マーラーは将来自分の音楽が多くの人に聴かれることを予言していた。それは世界が不安の時代を迎えるということの予言であったかもしれない。それは必ずしもマーラーが望んだ世界ではなかったろう。望んだ世界ではないからこそ、自分の音楽が広く聴かれるようになった。
皮肉なものである。
まさしく、マーラーらしいアンビヴァレンツと言えるのかもしれない。
さて、今日は『悲劇的』というニックネームを持つ6番を聴いている。
選んだのはブーレーズ&ウィーン・フィルの94年の録音。このCDが出たときは衝撃的だったなあ。まさかブーレーズがマーラーのシンフォニーを録音するとは思わなかったし…。
20世紀音楽への預言的な音が聴こえる名演だと思う。
実はイチオシはバルビローリ&ニューフィルハーモニア管の演奏だったりするのだが…。
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