久々の日記だが、手短に…。
今年のノーベル文学賞はボブ・ディランだった。
このニュースは驚きをもって迎えられた。
もう40年以上もディランのファンを続けている私も驚いた。
しかし、よく考えてみるとなんら不思議なことではないのだ。
ディランの紡ぐ言葉は歌詞であると同時に詩である。
音楽がなくても詩として成立する歌詞というものは決して多くはない。
ディランの詩はそのメロディーから切り離して取り出してみても鑑賞できる。その言葉ひとつひとつを紐解くこと自体が迷宮を彷徨うかのようで、ひとつの詩はよくできた短編小説のようでさえある。
たとえばカポーティやサリンジャーのような極上の短編小説を味わうような楽しさが、ディランの言葉を追いかける中でも経験できる。
わからない部分も多い。だからこそまたその世界に戻らされてしまう。
詩は紛れもなく文学である。
ノーベル賞は小説でなければならない、ということは全くないのだ。
過去に詩人が受賞したことも少なくない。
そしてディランの言葉は音楽として多くの人々に浸透している。
おそらく過去のノーベル文学賞を受賞した人たちの作品よりも多く。
ただひとつ気になるのは世界的に文学離れが起きているのではないかということ。
どれだけの人が受賞作家の作品に親しんでいるのだろうか。
大衆音楽の歌詞作家に対し授与したということは、権威が自らに対して突きつけたアンチテーゼのような気がしないでもないのだ。あるいは強烈なカンフル剤か。
ディランのオリジナル・アルバムを全てWalkmanに入れるとそれだけでかなりの容量を使ってしまう。
それでも抜いてしまうことはできない。
私にとってディランとはそういう存在である。
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