桜が見ごろになった。
上野に行ったついでに少し上野公園を歩いてみたが、すごい人だった。
桜を見ているのか人を見ているのかわからない。
花見もそこそこに東京・春・音楽祭の公演を聴くために東京文化会館へ。
今日はショスタコーヴィチの24の前奏曲とフーガの全曲演奏会。
この難曲に挑むのはアレクサンドル・メルニコフ。
ヴァイオリン奏者イザベル・ファウストと組んでいることでも知られている。
実は彼はこの曲のCDを出している。そして3年前に日本で演奏している。そのときの強烈な印象も記憶に新しい。
ショスタコーヴィチという作曲家はどうも捉えどころがない。
交響曲作曲家として有名だが交響曲だけを聴いていたのでは彼の本質はわからないような気がする。ソヴィエト連邦というフクザツな社会にあって、注目されがちな交響曲では本音を隠して建前を表向きに出している曲も少なくないからだ。深読みをしようと思えばいくらでもできるわけで、そこがおもしろいとも言えるし捉えどころがないという印象にもなるのだ。
ショスタコーヴィチの作品をひとことで言うなら「顔で笑って心で泣いて」ではなかろうか。
で、本音の部分が多いのが弦楽四重奏曲だということはよく言われるが、本音も本音、音楽家としてのあらゆるスキルを駆使して作ったのがピアノのための24の前奏曲とフーガではないかと思う。バッハの平均律と同じ前奏曲とフーガという形式で、24全ての調の進行はショパンと同じ。ショスタコーヴィチが紛れもない天才だったことを示す作品だと言えよう。
さりとてバッハのように音楽美をひたすら追求したものかというとそうでもなく、複雑怪奇な様相を呈している。聖なるものと俗なるものというのはマーラーの音楽についてよく言われることだが、それと同じようなことがこの曲集にも表れている。ショスタコーヴィチが何を言いたかったのか、それを理解するのはそう簡単なことではない。だからこそ巨大な迷宮のようなこの作品に強く惹かれるのかもしれない。
大曲ゆえに実演に接することができる機会は少ない。
ということで、今日はこの1曲のみ。
01.ショスタコーヴィチ:24の前奏曲とフーガ(全曲)
途中2回の休憩を挟む。
1番から12番まで(約1時間10分)、休憩20分、13番から16番まで(約30分)、休憩15分、17番から24番まで(約50分)。
この区切りは前回と同じ。
もともと2時間半ほどを要する曲なので、休憩込みで3時間超えというリサイタルになった。
ただひたすら彼の紡ぐ音に身を任せるのみ。
柔らかく暖かな音色で作られていく音楽のなんと雄弁なことか。
すっきりと見通しの良い演奏だ。しかしその底にある恐ろしげなものを隠そうとはしない。正気の沙汰ではない音楽であることがあらわになる。それなのに限りなく美しい瞬間がいくつも用意されている。そこでのメルニコフのタッチは優しく美しい。
一音一音に細心の注意を払い、情感の振幅を敢えて抑えつつ、その世界を紐解いていく。ショスタコーヴィチの迷宮を彷徨うにはメルニコフは最良のナビゲーターだ。24個(あるいは48個)の部屋の扉を次々と開けていくようなおもしろさ。どこかに開けてはいけない部屋があるような…。
ショスタコーヴィチという人が気になるならば、この曲は聴いておくべきだと思う。これを知った後では交響曲の聴こえ方が違ってくる。
さて、メルニコフの前奏曲シリーズ初日は無事に終了。
次は一日空けて明後日、上野学園にてドビュッシー。メルニコフがドビュッシーをどう弾くか、非常に楽しみである。
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