いよいよ明日からフェルメールの『真珠の耳飾りの少女』が公開される。『青いターバンの少女』とも呼ばれる見返り美人である。(東京都美術館)
http://www.asahi.com/mauritshuis2012/
同じ上野の西洋美術館では『真珠の首飾りの少女』が公開されている。こちらは耳飾りではなく首飾り。(「ベルリン国立美術館展」、国立西洋美術館にて)
http://www.berlin2012.jp/tokyo/
前者はマウリッツハイス美術館の改修に伴い貸与されたもので、おそらく今後日本に来ることはまずないだろうと思われる。あったとしてもかなり先。
期せずして上野にフェルメールの名品が居合わせているわけだ。
平日に休みを取って観に行くかな。
絵は実物を見てなんぼである。
幸いなことにたいてい目玉となるような企画展は首都圏でも開催される。これは東京に住んでいることのメリットのひとつであることは間違いない。(コンサートなんかでもそうなのだが)
フェルメールの何がすごいんだ、と思っていらっしゃる方にこそ現物を見ることをお勧めしたい。
私はフェルメールが題材にしたような風俗画に特に興味はない。どこそこの風俗画展というようなものがあったとしても、よほどのことがなければ見に行かない。
実は私も「フェルメールなんぼのもんじゃい」と思っていた。しかし、実物を前にしたら、その場を動くことができなくなってしまった。理屈ではなく、ただただ圧倒されたのだ。それこそが絵の力である。技術だとか精密さだとか色使いとか、そういうものに対する感想は後からついてくるものである。
フェルメールに限らず絵は実物を見てこそである。
画集や複製画でわかった気になってはいけない。極端なことを言えば、カメラを通した時点で撮影者の感性が関与する。さらに印刷すれば色合いが変わる。
もちろんサイズも違うし、絵具の塗りの厚さもわからない。
もっと言うなら、絵というのは画家がその前で何時間も何日も(あるいは何ヶ月も)過ごしているのだ。作品と画家との間の濃密な時間。画家の情念を感じることができるかもしれない。それを気配というのだろう。
絵を所有するようになって、このことを強く感じるようになった。
言葉では表現できないような何か、理屈では説明できないような何か、そういうものが確かにあると思う。だからこそアートにはマジックがあるのだ。
そこが音楽と違う。
音楽も実演がいちばんだとは思うが、録音されたものしか聴いていなかったとしても、その曲の本質を捉えることはできるだろう。
マナーのなっていない聴衆に囲まれてストレスを感じながらホールで聴くよりも、リラックスできる環境でCDを聴く方がいいことだってあるはずだ。(現に私はホールでイヤな目に遭うことが続き、コンサートに行かなくなっていた時期がある)
それでもクラシックはやはり実演を聴くべきだと思うし、ジャズもその一回性からライヴこそと思う。
ただポップス系となると必ずしもそうとは言えない。CDとライヴが違いすぎる場合が少なくないのだ。ことにJ系は凄まじい。CDはどこまで作ってんだよ、というのが少なくない。CDとライヴは別物だという考え方もあるが、それは意味が違うだろうと思う。CDのクオリティに近いものが再現できないなら、ライヴなんかやめちまえと乱暴なことも言いたくなる。(何度も裏切られたもので…)
話がそれたが、今年はフェルメールの当たり年である。
私はすでに東京に居ながらにして20点近くフェルメールを観ている。すでに全作品の半分を超えている。このまま全点制覇も夢ではないのではないかなどと思ってみたりもする。
と言いつつも、実はいちばんの楽しみは三菱一号館で開催されている「バーン=ジョーンズ展」だったりするのだが。
http://mimt.jp/bj/
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