ペッテション、ヴェレス、と続いたシンフォニー・シリーズ、次にはさて、何が来るのか?
ということで、今日はこの人。。。
ダリウス・ミヨーという作曲家をご存じの方は多いだろう。
ペッテションやヴェレスに比べたらメジャーな作曲家である。20世紀を代表する作曲家で、「フランス六人組」と呼ばれたうちの一人である。
六人組ではオネゲルとともにリーダー的な存在だった。重厚な作品を残したペシミストのオネゲルと、明るい作品を残したオプティミストのミヨーでは、作品も性格も全く正反対だった。にもかかわらず、厚い友情は生涯通して変わることがなかったという。
20世紀交響曲史上に燦然と輝くオネゲルの5曲に対して、ミヨーの12曲は不遇の扱いである。
そもそもミヨーは多作家である。作品番号は400を軽く超える。この数は尋常ではない。多作家ゆえに曲のバラツキが大きいというのが定説になっている。よって交響曲も「ぜんぶおんなじ」というのが一般的な認識のようだ。
しかし、交響曲というガッチリした構成の曲が根付かなかったフランスにおいて、12曲も作ったというのは驚異的である。
ほとんど聴いたことがなかった。聴いたことがあったのは12曲のうちのほんの数曲だろう。
かつてミシェル・プラッソンがグラモフォンに録音を試みたことがあるが、2枚リリースしたのみで頓挫した。結局全集にはならなかった。推測だが(間違いなく)、売れなかったのだろう。
しかし、数年前、例のマニア御用達レーベルのCPOから順次リリースされ、全集としてまとめられたのだ。気になっていたのだが、買う踏ん切りがつかず、しばらくたってしまった。で、この前ペッテションとヴェレスの全集を買ったときに、そういえばミヨーがあったなと5枚組の全集を「ポチッ」としてしまったというわけ。
ダリウス・ミヨー、この人の音楽自体に馴染みが少ない。
復調や多調という新しい響きを得意にした人で、曲はやたら楽天的という印象だった。実は私はオネゲルの音楽を愛するがゆえに、対照的なミヨーの音楽を拒絶していた、というのは否定できない。
でっぷりとしていて二重顎で、ふてぶてしいようで人なつっこいような顔を見ると、悲劇的で重厚な曲を書く人とは全く思えず、それは当たっていた。
しかし、その音楽は素敵なものだった。
12曲聴くのは楽しい経験だった。
ペッテションやヴェレスと比べるととてつもなく明るい曲ばかりだ。南仏の輝かしい光を浴びたような音楽である。苦悩することはあっても絶望や怒りまでは行かない。人生なるようになるさ、ケ・セラ・セラ〜の世界である。
なんて書くと能天気な音楽のように思われるが、そうでないとは言えない。
ミヨーの弱点も明らかになった。彼は魅力的なメロディーが書けない(あるいは書かない)のだ。
しかしだ、この12曲はどれもが魅力的だ。
というのもミヨーはオーケストレーションが抜群に上手いのだ。ことに木管の扱いが非常に上手い。ときに効果的に響くハープも素敵だ。その結果とてもカラフルな響きになる。そしてリズム処理のおもしろさ。それに得意の風変わりな和声も斬新に響く。
こうした個性を生かすには、確かに息の長い旋律よりは短めのモチーフの方が効果的なのかもしれない。確信して綺麗なメロディーを書かなかったのか、あるいは書けないことを逆手に取ったのか、どちらかはわからない。しかし、この作曲技法は驚くべきものだと思う。アクロバティックな転調も聴きものである。
と言いつつも、1番の第1楽章冒頭のフルートのメロディーはとても親しみやすい。
交響曲という看板もあってか、明るいがシリアス路線。全てとは言わないまでも、何曲かはもっと聴かれて然るべきものと思う。
もっとも、番号が増えるほどとっつきにくくなるというのは確かにあるかもしれない。
妙な言い方だが、ロック的なノリで聴ける曲も少なくない。
演奏はアラン・フランシス&バーゼル放送交響楽団。
比較対象がないのでよくわからないが、オーケストラはよく鳴っているし、管の響きも美しい。
フランシスという人はペッテションの全集でも何曲か振っているが、現代曲を得意とする指揮者とのこと。
このミヨーの全集盤は2000年の国際音楽著作権見本市でのカンヌ・クラシック賞の新譜CD部門で第1位を獲得したのだそうだ。
ちなみに、ジャケットには全てセザンヌの絵が使われている。
このCPOレーベル、ホントにいいセンスしてるよ。ミヨーの音によく似合う。
フォーヴの画家が合うのかなと勝手に思っていたのだが、実際に聴いてみるとセザンヌの方が合うようだ。
さて、このシリーズ、次は誰が来るのだろうか。
大丈夫、ネタはまだまだたくさんあるぜ。
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