先日の日記で話題にした通り今年はショパン・イヤーである。
よって企画ものも含めて、ショパンのCDが相当数リリースされるものと思われる。猫も杓子もショパンというのはうんざりだが、いい演奏を聴ける機会が増えるのは歓迎だ。
とはいえ、個人的な好みを言い出したらキリがないが、いいショパン演奏に出会えるのはなかなか難しい。
ショパンに限らないが、うまく弾ければいいというものではない。
ことにショパンには薫りが必要だと思う。
コルトー、ルービンシュタイン、リパッティなど独特の薫りがあった。特にフランソワは小粋な節回しが魅力的で特別な存在だ。
アルゲリッチやポリーニやアシュケナージ、みんな上手いんだけど、という感じ。
若い人になるとメカニカルに弾き倒すか、解釈が恣意的か、そのどちらかということが多いように感じる。もちろん、曲を御し切れていないというのは論外。
最近心に引っかかった演奏は。。。
ユジャ・ワンのデビューアルバムに収録された2番のソナタ。典型的な技巧派かと思ったらそうでもなかった。音も意外にきれいだし、抒情的表現にも長けている。弾き出すと燃えるタイプなのかもしれない。
アリス=紗良・オットのワルツ集。基本的にマジメなショパンだが、メロディーの歌い回しがいい。小粋という感じではないが、可憐である。
三浦友理枝嬢のリサイタルでの3番のソナタ、舟歌、前奏曲集などなど。クリスタルのような高音と強靭な低音。重心の低いビターなショパン。作品10の練習曲集を中心にした若書きのショパンのアルバムがあるが、これも同じ印象。甘くない『別れの曲』は一聴の価値あり。おそらく、前奏曲集のアルバムが近々リリースされるのではないかと思う。
昨年末から立て続けに2枚リリースしたのがイリーナ・メジューエワ。
作品10と25の練習曲集、それに前奏曲集。前奏曲集は再録音になる。
ショパンの録音はそこそこあって、中でもスケルツォ集は極めつけの名盤と言ってもいい。
この新譜2枚も素晴らしい演奏だ。
そして、これもまた硬派なショパンだ。情に流されない。きっちりと構築的に音楽を作り上げている。しかし、そこはかとない情緒が漂う。楽譜の再現に留まらず、それでいて恣意的な解釈は極力排している。よって甘くはないが、聴けば聴くほどに味わい深さを感じる演奏になっていると思う。
端麗な日本酒のようだ。喉ごしはスッキリとした水のようで、後から馥郁たる香りが満ちてくる。
派手さはないが、滋味溢れる盤だと思う。
彼女は大胆な解釈で唸らせる人ではない。超絶技巧で唖然とさせるタイプでもない。作曲者の意図を可能な限り汲み取ろうとする真摯な演奏家だ。力で捻じ伏せようなんて、間違っても思わないだろう。曲を自分に引き寄せようというのではなく、曲に歩み寄ろうというタイプなのだと思う。それでいて、そこに聴こえてくるのは紛れもなくメジューエワの音楽なのである。
と、ここまで書いてきて、自分の好みのショパンというのが見えてきた。
豪快に弾かれるのは好まないのだ。
中低音がガッチリしていて、だからこそ切ないメロディーが映える、そんな演奏が好みなのかもしれない。もちろん音がきれいなのは必須条件だ。
今の関心はメジューエワがワルツを弾いたらどうなるか、ということだ。小洒落たワルツでも、メジューエワのアプローチは有効なのか? バリバリ硬派で、フランソワの対極を行くワルツになるかもしれないが、それはそれで楽しいかもしれない。
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