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2026年08月21日07:25

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杉谷和哉『エビデンスの罠』(PHP新書)を読みました

杉谷和哉『エビデンスの罠』(PHP新書)を読みました。
著者は、岩手県立大学准教授であり、公共政策学がご専門のようです。また、本書の冒頭では何度か村上靖彦『客観性の落とし穴』についての言及があり、かなり意識しているように感じました。
ただ、本書では、エビデンスとは必ずしも客観的なデータを考えているようではない印象を受けました。例えば、第1章のタイトルはエビデンスvs物語、ということで、後者の「物語」というのはいわゆるナラティブのことを指しているものと私は理解しました。ただ、この両者を対極に置いて、エビデンスを数値データ、物語をエビデンス否定と考えるのは少し疑問が残ります。
いずれにせよ、本書では「賢慮」という耳慣れない言葉がひとつのキーワードになっており、数値によるマネジメントの歴史や陰謀論の問題などを取り上げ、いかにして賢明な判断が下せるかについて考えようと試みています。ただ、データに対する否定的な考えはいくつか見られ、第4章では統計的なトリックやデータの嘘についても議論しています。もっとも、同時に、さすがにフェイクについては警鐘を鳴らしており、第5章ではナラティブとの関係などを示して本書を締めくくっています。
最後に、本書が意識している『客観性の落とし穴』については、世間一般でかなり浅い読み方しかなされていないように私は感じています。すなわち、エビデンスとして客観性を求めるのは決して悪いことではないが、例えば、外国人政策や福祉政策など、自分が同意しない政策の方向性が示された場合に、過度にエビデンスや客観性を求めるのは決してよい議論の態度ではない、という含意を読み取っている読者は少ないように感じます。
その昔に、「誠意を見せろ」という言葉があり、手に取って見せようのない誠意ではなく、まあ、「最後は金目でしょ」という結論を導かんとするような議論の態度がありました。まさに、私が懸念しているのは、ホントに客観性やエビデンスを求めるのではなく、議論に反対するために過剰なエビデンスや客観性を要求するタイプの態度です。ですので、エビデンスそのものには期待せずに議論の勝ち負けや正しい結論に混乱をもたらすようなエビデンスの求め方、客観性の追求というものを注意すべきではなかろうか、という気がします。

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