吉川洋『日本 - 没落か再生か』(新潮選書)を読みました。
著者は、東京大学名誉教授であり、政府の経済財政諮問会議の民間人委員や立正大学学長なども歴任しています。まずは、マクロ経済学の大御所ということが出来ます。
そのマクロエコノミストが、1990年のバブル経済崩壊後から長らく続く「失われた何十年」の日本経済を振り返って、「時代精神」あるいは「時代の精神」をキーワードに、格差の拡大、少子化や人口減少、企業のイノベーションの停滞などなど、日本経済の問題を解明しようと試みています。
とはいいつつ、実は日本経済の停滞に先立って、1980年代から停滞を深めた米国経済について考えています。その原因はズバリ企業活動が営利主義に走ったことであり、フリードマン教授らの新自由主義的な経済観に対する批判を展開しています。その新自由主義的で利益優先的な経営に陥った企業観が米国から10年ほど遅れて日本でも現れた、と見なしています。
そのため、家計においては非正規雇用の増加により格差が拡大し、消費が停滞する中で、企業だけが貯蓄超過に陥っています。何度か私のマクロ経済観を明らかにしているように、マクロ経済の景気拡大のためには貯蓄超過のセクターを活性化する必要があります。露骨にいえば、貯蓄超過主体にカネを使ってもらう必要があるわけです。日本では、家計もさることながら企業が貯蓄超過であり、家計の中では勤労世代に比べて引退世代が貯蓄超過になっています。
ですから、本書ではそういった表現はしていませんが、日本の経済停滞の大きな要因のひとつは企業部門にあり、ケインズ的なアニマルスピリットが失われて、シュンペーター的な創造的破壊のイノベーションが出来ていない、という点を上げています。真逆の方向で、企業は雇用者の給与削減に走って非正規雇用を増加させることにより利益を上げようとしているわけです。そうすると、ますますアニマルスピリットが失われ、イノベーションが滞ることになります。
ただ、私が本書の結論に意義を申し立てたい点が2点あります。まず第1に、本書はそういったアニマルスピリットやイノベーションといった企業部門の問題解決を「時代精神」として個々人の心に求めています。ある意味で数的な合理性に基づくアポロ的な損得勘定ではなく、ディオニュソス的な衝動や情念に基づく企業活動に解決策を求めているように私は読みました。
しかし、個々人の心に解決策を求めるのは、私は間違っている可能性が高いと受止めています。いつもの表現をすれば、交通安全を願って譲り合う心だけでは交通事故は減りません。信号や横断歩道や速度規制という制度や規制が必要です。
第2に、家計部門内での移転も必要となる可能性があります。家計部門内では、繰返しになりますが、貯蓄超過なのは引退世代です。私が長らく主張しているように、現在の引退世代は世界でも稀に見る高度成長期という時代を享受してきた世代です。その引退後の生活をバブル崩壊後の低成長しか実感できていない若者に負担を求めるのは、大いに疑問が残ります。米国では、リーマン・ショックまでのサブプライムバブル期に大きく業績を拡大した銀行をバブル崩壊後に救済するのに反対意見が数多く出ています。日本の家計部門内でも同じことを主張する意見があっても私は不思議に思いません。
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