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2026年04月20日08:02

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稲田豊史『本を読めなくなった人たち』(中公新書ラクレ)を読みました

稲田豊史『本を読めなくなった人たち』(中公新書ラクレ)を読みました。
著者は、ライター・編集者だそうです。出版社は違いますが、私は前著の『映画を早送りで観る人たち』(光文社新書)を読んでいます。
本書のレビューに入る前に、一応、読書に関する調査結果としては、最新データとして文部科学省文化庁国語課による「令和5年度 国語に関する世論調査」があり、「1か月に読む本の冊数」という問いに対して、「読まない」という回答が62.6%を占めています。調査対象は16歳以上の個人です。他方、学校図書館協議会による「第70回学校読書調査 (2025年)」でも似たような「5月1か月間の読書数」の問いがあり、ゼロという回答が高校生で55.7%に上ります。ですので、過半数の日本人は読書しないという事実は押さえておきべきと思います。また、単純に考えると、おそらく18歳以上の個人は18歳以下の高校生よりも読書をしない人の割合が高い、ということがうかがえようかと思います。ここまでは私が調べた範囲の読書に関する情報です。
本書に入ると、まず、コスパやタイパの重視にしたがって長い文章を読まない人の割合が増加している現状が、統計ではなくいくつかのケーススタディめいた基準で直感的に確認されています。ただ、実利的な観点から、就活への利用のため日経電子版が意識の高い学生から支持されているという事実はある、との指摘もしています。しかし、本書で繰り返されているように、統計的に確認されていないとはいえ、大雑把な傾向として、テキスト媒体が時間がかかるメディアとして敬遠されているのも事実かと私は受け止めています。加えて、「楽だから」という理由で本ではなく映像メディアが支持されているという現実もあるのだろう、とも思います。
また、本書で強調しているのは、本を読まないということは、本を読むことができるにもかかわらず読まない、というわけではなく、本を読むことができなくなっている、という意味でタイトル通りに、「本を読めなくなった」のだろうという点です。純文学のオープンエンドが許されず、大衆文学的なオチを必要とするとか、そういった背景もあるのは事実だろうと思います。ですから、その昔の「やればできる子」論は読書に関しては成り立たない、ということなのだろうと私は考えています。
本書のもうひとつ注目すべき指摘は、決して、スマホの影響で本を読まなくなったわけではない、ということです。すなわち、スマホの影響などなく、読書する子と、もともと読む能力のない子が決まっていて、その決定要因として親の本棚という文化資本を第2章では上げています。長い文章を読んで理解できるのはすべての人に備わっている能力ではなく特殊能力である、という主張です。
ですので、表紙画像から受ける印象はミスリーディングであるといえます。ただ、本書のようなタイトルの本を買って読もうという年配の人を引きつけるにはいいのかもしれません。第3章以下では、ネット上の無料テキストの氾濫、本は富裕層向けの商品となりつつある現実、読者と消費者の違い、などの議論が展開されています。そのあたりは読んでみてのお楽しみです。
いずれにせよ、義務教育と高校までの学校教育には大きな教育上の格差がないと仮定すれば、文章を読んで理解できる能力は、いくぶんなりとも、家庭における文化的環境に起因する可能性は否定できません。

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