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2026年01月06日07:46

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森嶋通夫『無資源国の経済学』(岩波全書)を読みました。

森嶋通夫『無資源国の経済学』(岩波全書)を読みました。
著者は、1980年代には日本でもっともノーベル経済学賞に近いとされていたエコノミストであり、出版当時はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの研究者です。本書はそこでの教科書であったと記憶しています。出版は1984年です。その後、岩波全書セレクションとして2008年に再出版され、また、改題されて『森嶋通夫著作集 10 ケインズの経済学』(岩波書店)として出版されています。
本書は2部構成であり、第�吃瑤妊潺�ロ経済学の価格理論を、第�局瑤妊泪�ロ経済学を、それぞれ展開しています。まず、序論で、本書が対象とするのは大中小とある工業国の中で、米国のようなアウタルキーも可能な農業セクターや鉱業セクターを有する大工業国ではなく、農業セクターと鉱業セクターを持たず、農産物や石油などの鉱業セクター生産物を輸入に頼る中型の工業国であるとしています。小型の工業国には詳細な言及ありませんが、アジア域内でいえば香港やシンガポール、欧州であればルクセンブルクなどがイメージされているような印象を受けました。なお、中型工業国の典型として日本と英国を本書では上げていて、時折、西独も登場します。北海油田は1970年代には大いに開発が進み、英国は1980年代には石油輸出国となっているのですが、まあ、ここではそれくらいは許容すべきでしょう。また、本書では「工業国」としていますが、金融業ほかのサービス業が無視されているわけではなく、言葉のあやとして「先進国」と同じ意味くらいに考えるべきです。なお、財とはモノとサービスの両方を含んでいる経済学本来の用語として用いられています。現在の一部の議論のように、サービスを含まないわけではありません。
私の専門分野からして、第�局瑤離泪�ロ経済を中心にレビューしますが、まず、第�吃瑤任浪然瞥�論が展開されます。伝統的な経済学と違って、本書では「複式価格機構」と呼んでいて、現在では「商品」と呼んでいる農業セクターと鉱業セクターの生産物は伝統的な経済学の市場メカニズムで想定しているような競売買方式で決定される一方で、たぶんサービスも含まれる工業製品についてはフルコスト原理にマークアップを上乗せして決定され、したがって、需給均衡は価格ではなく生産数量によって調整される、というモデルを提示します。対外貿易については、為替が変動相場において国際収支をゼロにする水準で決定され、古典派リカード的な比較優位により貿易が行われる、というモデルです。新貿易理論や新々貿易理論は前提されていません。なお、第1次世界対戦後の英国の金解禁における平価については、「世界の工場」として工業生産物の輸出を重視するのであればポンド安の新平価で、「金融帝国」として金融センターとしての役割を重視するのであれば実質的なポンド高である旧平価で、なされるべきであったと指摘し、後者だったのだろうと推測しています。
第�局瑤離泪�ロ経済学では、産業については、農業と鉱業を持たず工業だけの中型工業国の工業セクターを2部門、すなわち、消費財部門と投資財部門に分割した上で、金融セクターを導入し、中央銀行、市中銀行、為替安定基金の3部門を考え、さらに、支出者としては、国民を3階級、すなわち、労働者、企業者、金利生活者にカテゴライズし、加えて、企業投資部門、外国貿易、政府を加えて6部門をモデル化しています。この2産業には消費財と投資財の2財が対応し、6支出部門には賃金、減価償却、輸入、税金、利潤、利子の6種類の所得が対応し、3銀行部門では金融財として債券、定期預金、当座預金、貨幣を発行します。これらが産業連関表のような分析モデルを考えています。なお、ついでながら、企業の株式や銀行借入れは債券で代理させてモデルには含んでいません。したがって、明記はされていませんが、資金調達コストに関してはモディリアーニ-ミラー定理が成り立つと前提していると考えるべきです。その上で、セイ法則ではなくケインズ的な有効需要により雇用をはじめとする経済活動の規模が決定されるというモデルとしています。
このマクロ経済について、まず、労働については、やや哲学的な思考ながら、近代的な完全な自由人ではなく、かといって、マルクス主義的な考えでもない半自由人とみましています。興味深いところです。その上で、失業に対する3つの見方を示し、マルクス主義的な固定資本係数のように資本が不足するため労働が必要とされず、労働と資本が補完的と考える失業、ケインズ的な有効需要が不足する失業、そして、古典派的な賃金が伸縮的でないための失業です。もちろん、本書のモデルではケインズ的な失業が想定されており、したがって、本書で想定するモデルにおいては賃金の下方硬直性は、むしろ、スパイラル的なインフレ/デフレを防止するビルトイン・スタビライザーの役目を果たす、と結論しています。財政については、さまざまな仮定を置いて財政乗数は1.45〜1.58くらいであるとの試算結果を示しています。資本分配率が大きければ乗数はやや大きくなるという関係も、本書のモデルから導かれています。加えて、均衡財政を目指す新古典派的な緊縮財政の帰結は、本書のモデルによれば、雇用減少+失業増加、かつ、通貨高が輸出減をもたらし、デフレ的であると指摘しています。最後に、金融については、信用創造や貨幣乗数については古典派的であり、現代貨幣理論(MMT)のようなものではありません。すなわち、定期預金は準備率ゼロ、当座預金は準備率10%として貸出しを行う、というモデルです。利子率とマークアップ率の間の相関についても興味深い議論が展開されています。
最後に、本書はもう40年前の教科書であり、一定の時代の制約はあります。新々貿易理論はまだ産ぶ声すら上げておらず、貨幣は財だけではなく資産にも向かう、というモデルにはなっていません。本書でいう農業セクターや鉱業セクターの生産物は商品であるとともに、貨幣が向かう先の資産でもあります。ですから、本書が書かれた当時と少し違って、現在では金融が大きく緩和されると、証券などの金融資産や不動産などとともに、石油や穀物の価格も需給条件以上に上昇します。信用乗数もやや古いとみなすエコノミストもいそうな気がします。ミクロの分析も、マクロの分析もいずれも比較静学的なモデル分析が多く、それほど動学的な手法は取り入れられていません。それでも、1970年代の石油危機やそれに伴う需給条件から生じたインフレの時代に、超現代的なデフレも見通したモデル分析を展開している分析はそう多くありません。その意味では、すべてではないにしても、現在の日本経済を分析する際にも、いくぶんなりとも、通用するモデル分析です。その意味で、とってもplausibleです。
最後の最後に、本書はほぼほぼ学術書に近い教科書であり、大学1-2年生の初学者には難しいと私は考えています。基礎的なミクロ経済学とマクロ経済学の理解の上で読みこなせる内容です。しかも、理論的なモデル分析を展開していますので、数学が多用されていて、数式の展開によって大小関係や符号を吟味しています。ですので、一定の数学力を必要とします。著者は高校レベルの数学力を想定している旨を明記していますが、私の経験では入学試験科目に数学を含まない私大経済学部の学生の数学力では不十分な可能性があります。私の勤務する立命館大学はそれなりの歴史ある伝統校で、学生諸君のレベルも決して低くないと思うのですが、それでも、私の授業では三角関数や虚数は不要なるも、高校レベルの微積分と指数・対数くらいは必要、と明言していて、しかしながら、そこまでの数学力を身につけている受講生は決して多くないと想像しています。
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