『をとめ一人 まびろき土間に立つならし。くらき その声 宿せむと言ふ』
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おそらく、作者は民俗学の研究の一人旅を終えて、日本のどこか奥深い土地で、疲れた体を休める一泊の宿を探してしたのだろう。
もう、あたりは夕闇に包まれていて、まわりの山々は既に黒い闇の中に沈もうとしている。 すると、いままで歩いてきた古道の端に在る、暗がかった家から低く声がする。
このうたには、こういう背景が先ず眼に浮かんでくる。
「宿せんと言ふ」「をとめ」の声は、どこか暗いというより罔(くら)い。
その声は、どこかの古池の奥から聞こえてきそうな籠もった声。
いや、その声は、人間のふるいふるい歴史の遠くから、かすかに呻くように聞こえてくる魂(たましい)の声のような気さえする。
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空海に以下の言葉がある。
「生まれ生まれ生まれ生まれて生(しょう)の始めは罔(くら)く
死に死に死に死に死んで死もまた罔し」
私は釋超空の上記したうたから、この空海の言葉を連想する。
この連想は「をとめ」だから成立する。
つまり、人は人を生み、そして人は死んでいく・・・そういう生と死の連綿とした存在としての人間の連鎖。
そういう人間のありようは、暗い陰にひっそりと佇む「をとめ」のように罔(くら)い。
「宿せむと言ふ」「くらき その声」の「をとめ」は、そのような物象としての人間の根源的なものの象徴ではないか。
たぶん釋超空という人は、人間の物象としての根源的な罔(くら)いものを探求し続けていたのではないだろうか? と私は思ったする。
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