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2015年06月23日22:30

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命が続く限り決して背を向けたりはしない

昔からこれはロックではない、あれはプログレではない、といった議論は常に起こっていた。
ロックとポップスとの境界は曖昧だし、プログレに至ってはこうだという明確な定義もない。クラシックとジャズとロックともなればある程度明確な線引きは可能ではあるが、その中で細分化されたものになるときっちり定義づけするのは難しい。語る人がいればそのぶんだけ定義の仕方があるというものだろう。

BABYMETALがメタルかどうかということについてもいまだに意見が割れている。
先日の幕張でのライヴ後にネット上のニュースで取り上げられると、いまだに「こんなのメタルじゃねえ」というコメントが目立つようになった。相変わらず国内でもアンチは多いのだ。
ただ何故メタルではないのかという理由を明確にしている意見は見たことがない。なので議論にならない。
メタルかどうかなんていうことは別にどうでもいいことで、本人たちも新しいジャンルを目指したいと言っているとおり、意味のあることではないのかもしれない。

よく理由として挙げられる「自分たちで演奏していない」「自分たちで曲を作っていない」ということだが、そのことがメタルでないことの理由にはならない。
BABYMETALの三人はシンガーでありダンサーである。楽器を演奏しないのは当然である。演奏しないことがメタルでないというなら、多くのメタル・バンドのシンガーたちもメタルでないということになる。メタルの始祖ともされるオジー・オズボーンもメタル・ゴッドのロブ・ハルフォードも多くの尊敬を集めるロニー・ジェイムズ・ディオもメタルではないということだ。
そして作曲することとメタルであることも全く無関係である。歌うこと(あるいは演奏すること)と曲を作ることとは全く別のスキルである。世の中のメタル・バンドには曲を作らないメンバーはたくさんいる。だからといってメタルではないということにはなるまい。
もっとも『4の歌』はYUIMETALとMOAMETALの作詞作曲なのだが。

歌詞の内容や世界観にしても、彼女たちは最初から「カワイイ」を標榜しているわけで、そのことがメタルでないということにはつながらない。受け入れられない人がいることは理解するが、それは単に嫌いなだけだろう。自分の中では「メタルじゃねえ」というだけに過ぎないのだ。
今までメタルサウンドにカワイイを融合させようなんてことを試みた例がないだけで、そんなことをしてはいけないという理由などどこにもない。
新しいことを試みるということは多くの非難に晒されるということでもあり、メタルの先人たちもそうであったことは覚えておくべきであろう。

実際のところはほとんどダンス担当とも言える両サイドの存在が大問題なのだろうと思う。
それこそかつてなかったからだ。
この二人がいなければメタルか否かという騒ぎはさほど起きなかったのではないかという気がする。
可憐な姿で飛び跳ね駆け回るあの二人の存在が硬派なメタルと相容れないのである。そしてこれこそがBABYMETALの新しさでもあるのだ。

実は私もBABYMETALを知るずっと前から歌におけるダンスの必要性が理解できなかった。
歌をほとんど歌わないダンス専門のメンバーがいるポップ・グループは過去から現在までいくつもある。私はそのダンス専門のメンバーの存在する意味というものを理解できなかった。曲とダンスは別物、鑑賞するにあたって周りでチャラチャラ動かれるのは邪魔以外のなにものでもない。そういうふうに思っていた。
ところがBABYMETALの映像を見たとき、私はおもしろいと思った。
BABYMETALのダンスは曲と不可分のものであることに気付いたのだ。言ってみれば彼女たちのダンスは曲と歌詞の視覚化であろう。記号化とも言えるかもしれない。
日本語の曲なのに海外でBABYMETALがウケているのはそこにも理由があるのではないか。日本語を理解できない海外の人たちにとって曲を理解する助けとなるのが彼女たちのダンスなのではないか。
もちろんその振付けは歌詞を逐一表現するものではない。多くの場合それは暗喩と言うべきものであろう。それでも視覚に飛び込んでくるというのは強烈だと思うのだ。頭で理解しようとする以前に視覚による情報量の多さが無意識のうちに曲の意味を伝えるのではないか。
それが言葉という高いハードルを超えさせた一因であるように思うのだ。

曲を言葉として伝えるのがシンガーなら、ヴィジュアルイメージで伝えるのがダンサーである。BABYMETALにおいてはシンガーもダンサーも等しく曲の表現者なのである。
そうなるとこれもまたメタルか否かということとは全く関係のないことになる。
曲の表現として歌と同等の価値があるダンスというものがあることはBABYMETALによって理解した。しかしそれはBABYMETALでしか感じられないものでもあった。

そしてこのことがスタッフのジレンマになっているのではないか。
BABYMETALはライヴ・アルバムにて音のみで十分に聴かせられることを証明した。神バンドの高度な演奏スキル、SU-METALの歌唱力、普通のアイドルよりはよっぽど上手いYUIMETALとMOAMETALのヴォーカル、それだけでも十分に楽しめる。しかしBABYMETALの魅力の一端を担っているのは三人の特にYUIMETALとMOAMETALのダンスなのである。
音だけではその大きな魅力が削がれてしまっていることになる。しかもそのダンスは曲と不可分のものであるにもかかわらず(音だけだから仕方がないのだが)。
音だけでBABYMETALの魅力を十分に伝えることができるのか。
そこにシングルを出すあるいはアルバムを作ることに対する葛藤が生まれているのではないか。
たとえば『Road of Resistance』という曲はとてもいい曲ではあるが、音だけで聴くとYUIMETALとMOAMETALの活躍の場は少ない。しかしこれに映像が付くとこの二人の身体表現が饒舌に語りかけてくる。
だからといってYUIMETALとMOAMETALのヴォーカル・パートを増やすというのも違っているような気がする。もっともYUIMETALのソロやMOAMETALのソロなんていう曲があってもいいとは思うが。

もしかしたらBABYMETALの次のアルバムは映像作品としてリリースされるのではないか。
そんなことを妄想してしまう。
それはミュージックビデオのようなものかもしれないし、スタジオライヴのようなものかもしれない。
音だけに集中できる良さというのもあるのでCDも必要だろう。現行の法律だと著作権保護の施されたBlu-rayあるいはDVDから音声のみをリッピングすることも違法になるからだ。

BABYMETALは新しいことをやっている。
であればそうした前例のない販売戦略をやってみてもいいのではないか。
単なるファンの戯言にすぎないが、コスト云々といった現実的問題はさておき、BABYMETALのファンであれば賛同してもらえるのではないかと思う。

話がそれてしまったが、「メタルじゃねえ」というのを見るにつけ、私はこんなことを思い出す。
ケンカや争いごとでやられそうになって逃げ去るときの「覚えてろよ」というセリフ。実際にそんなことがあるのかはわからないが、そんな捨てセリフに似ているような気がするのだ。
負け犬の遠吠えと言っては失礼すぎるだろうか。

BABYMETALがメタルかどうかということであれば、紛うことなくメタルである。
メタルではないと否定する理由を見つけられない。
しかし、実際はメタルかどうかなんてどうでもいいことだと思う。
同様にアイドルかどうかということもどうでもいい。
彼女たちが成し遂げたことの前ではそんなものは些末なことにすぎない。
BABYMETALはBABYMETALとして存在すればいい。
BABYMETALの前に道はない。BABYMETALの後にも道はない。孤高とはそういうものであろう。
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