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2015年06月03日23:00

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フェルメールについて思う

フェルメールという人は生前は有名な画家だったそうだ。
その作品のほとんどが風俗画であったことから、没後次第にその作品は忘れられていく。時流の悪戯だったとも言えよう。再発見されたのはクールベやミレーが活躍し始めた頃だったらしい。
今世紀に入ってからフェルメールの作品は日本によく来ている。おかげで日本に居ながら名品を鑑賞することができるわけで有難いことではある。
それ以前はあまり日本に来ていない。
私がアートに興味を持ったころ(1970年代)にはフェルメールはすでに大巨人であったわけだが、日本における本格的な受容というのは今世紀になって始まったと言ってもよさそうである。
つまりたかだか15年程度のことに過ぎない。

多くの人がフェルメールの作品を見て、今やフェルメールは企画展の目玉となっている。
人気なのである。

しかし、みんなフェルメールの作品が好きなのだろうか?
展覧会に行くたびにそうした疑問が頭を過る。

最近のフェルメールの展示では近くで見たい人とじっくり見たい人とを分けるようにしている。
前列では立ち止まらぬようゆっくり歩きながらの鑑賞になるが近くで見られる。
その少し後ろで仕切られたところでは好きなだけ留まって鑑賞することができる。少し離れているが遠いというほどではない。
いいアイデアだと思う。好きなようにじっくり見られるのがいいに決まっているが、混雑する場合は有効な方法であろう。
たいていどうしても近くで見たい部分があるので前列で並ぶのだが、後方で眺めるのが主体である。
ところが歩きながら眺めただけで立ち去る人が意外に多いのだ。絵の前にいる時間は僅か数秒。
後方で眺めている人も長くとどまる人は少ない。なので少し待てばすぐに前に行ける。意外なほど回転率がいいのである。
いや、鑑賞の仕方など人それぞれだから意見をするつもりはないが、せっかくなのだからもう少しゆっくり見ればいいのになどと思ってしまう。

フェルメールの作品について一言で言うなら、その場を離れられない、ということである。
いくら見ていても飽きないのだ。高度な技術もそうだし、カメラを先取りした構図の妙もそうだし、鮮烈な色彩もそうだし、描かれたものに込められた意味を深読みさせるのもそうだし、そんなふうに見ていたらいくら時間があっても足りないくらいなのだ。
写実を極めるとそこに物語が見えてくる、というのが私の持論なのだが、フェルメールの作品はその最もたるものだという気がしている。
だからフェルメールの絵を見るのは楽しいのだ。

フェルメールは人気だというが、そのわりにじっくり見ている人は少ない、というのが私の印象である。
おそらくフェルメールの作品でいちばん有名であろう『真珠の耳飾りの少女』が来たときですら混雑していたわりにじっくり見ることができたのだ。

なのでフェルメールが人気というのは表層的なことのように思えるのだ。
もちろんフェルメールに興味のない人がいてもいい。見てみたらたいしたことなかったと思う人がいてもいい。だとしても人気というのなら好きな人が多いのだろうと思うではないか。
どうもフェルメール人気と言われるほど好まれているようには思えないのだ。
そのわりに「フェルメールはやっぱすごいね」という声が多いのはどういうわけか。

まあいい。
なんだかんだ言いつつフェルメール人気の恩恵を受けているのだ。
30数点と言われる作品の半分近くを東京で見られたのもそのおかげ。

ちなみに国立西洋美術館が『聖プラクセディス』という作品をコレクションに加え、この春から常設展で展示されている。
フェルメールの真作かどうかは意見が分かれているらしいので「フェルメールに帰属」という形での展示となっているらしい。
専門的な議論はともかく、一般愛好家が真贋に思いを巡らせられるというのもおもしろい。もし真作だとすれば最初期の作品になるのだそうだ。
早いうちに一度見に行きたいものである。

http://www.sankei.com/life/news/150319/lif1503190006-n1.html
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