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2013年07月01日22:00

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祭典の日

1980年ジョン・ボーナムの夭折による解散のニュースを聞いてから、私はレッド・ツェッペリンの再結成には否定的な立場を取っていた。ジョン・ボーナムのいないツェッペリンなどツェッペリンとは認められなかった。

今、私はその立場をかなり軟化させている。
いや、むしろ再結成して欲しいと思うようなった。

2007年ロンドンにて一夜だけの再結成ライヴが行なわれた。
それまでの二度の再集結のパフォーマンスが不本意な出来だったことから、事前に十分なリハーサルを重ねたという。
ドラマーはジョンの息子ジェイソン・ボーナム。
このライヴは昨年『祭典の日(Celebration Day)』というタイトルでCDとDVD(Blu-ray)のカップリングでリリースされた。
そのときは全く関心を持たなかった。

それが何の気まぐれか、『祭典の日』を手に取ってしまった。
ツェッペリンの連中がどう年を取ったのか見てみたかったというのもある。
それに、聴いたり見たりしないままで否定するのはフェアではないと思ったからだ。

CDを聴くのではなく、映像を見た。
ジミー・ペイジの髪は真っ白だった。ロバート・プラントの顔には深い皺が刻まれていた。ジョン・ポール・ジョーンズがいちばん若く見えるが、それでも年を取ったのは隠すべくもない。
三人ともオッサンの域をとうに超えたジジィである。

ジミー・ペイジは相変わらず低い位置でギターを構え、独創的なリフを刻む。ジョン・ポール・ジョーンズは涼しい顔で複雑なベースラインを繰り出す。そして、ロバート・プラントは曲を追うごとに調子を上げ、ときおり往年を思わせるハイトーン・シャウトも聴かせる。

このジジィども、全然枯れてねえ。。。

こういうのを熟成と言うのだろうか。
いちばん心配していたロバート・プラントもよく声が出ている。
彼は1970年代半ばにはすでに輝かしい声を失っている。なのでツェッペリン後期では超絶ハイトーンを求められる人気曲『移民の歌』は歌っていない。その代わり手に入れたのはハイトーンがなくても聴かせる表現力だった。
このライヴでの彼はその70年代後半の頃とさほど遜色ないように思える。もちろんあの頃はもっと声が出ていたろう。もっと高い声も出ていたろう。しかし、彼の技術はそれを感じさせない。
まさにそこで歌っているのはツェッペリンのロバート・プラント以外の何者でもなかった。

この三人が揃えばツェッペリンかというとそうではない。
これをツェッペリンだと思えた要因のひとつがジェイソン・ボーナムの存在だ。そしてそれが大きい。彼は偉大な父を髣髴とさせる見事なドラミングを披露した。ミッシング・ピースを埋めきれたとは言わない。しかし、これ以上のものは望むべくもない。ジェイソンはジェイソン、それでいい。大仕事を立派にやり遂げたと思うし、彼の重みのある音はツェッペリンに合っている。

そして、ジェイソンを見る三人の目のなんと優しいことか。
彼らが走らせる視線にぐっと来る。
同時にかつてのツェッペリンの四人の絆が如何に強かったかを知る。

私はこの映像を見ている途中から、彼らの新作を聴きたいと思った。
ジョン・ボーナムの代わりにジェイソン・ボーナムがドラムを叩くツェッペリンをすんなり受け入れることができたのだ。
しかし、この日以降、ツェッペリンとしての活動はない。
ロバート・プラントが再結成に消極的だとも伝えられている。

まあいい。
楽しみに待つのは勝手だろう。

レッド・ツェッペリンほどのビッグネームになると、彼らを嫌う人もいるだろうし、再結成に対して批判的な人もいるだろう。実際、ビッグネームの再結成には金の匂いがプンプンする場合も少なくない。ヨレヨレの演奏でガッカリさせられることも珍しいことではない。
しかし、このときのツェッペリンはマジであった。
先に述べたように、私はツェッペリンの再結成に対し受け入れらないという立場を取ってきたが、それを翻させるくらいのパフォーマンスだったのだ。
そして改めて気付かされた。ツェッペリンの音楽がなんと豊穣であることか。古い曲ではすでに40年以上、新しい曲でも30年以上経っているのに、今なおリアルな音楽としての説得力を持つ。

あの時代のロック・ミュージシャンがマジになるとやっぱりすげえ。。。
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