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2010年12月02日21:10

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青い麦

この年になるとこの本を買うのはいささか恥ずかしいものがある。
まだ美少女キャラが表紙のライトノベルの方がマシなような気がする。
だいたい『青い麦』というタイトル自体がなんだか気恥ずかしいではないか。

フランスの女流作家シドニー=ガブリエル・コレットの小説である。コレットという人はかなりかっ飛んだ女性だったらしい。女優サラ・ベルナール、画家タマラ・ド・レンピッカのようにこの時代にはあらゆる意味でかっ飛んだ女性がいた。ただ単にかっ飛んでいただけなら、時代に咲いた徒花として忘れ去られていたのだろうが、なにしろ才能があったのだ。
20世紀のフランス文学はプルーストとコレットに尽きる、と言い切ってしまう人もいるほどだ。

『青い麦』はコレットの代表作ではあるものの、最高傑作ではないというのが一般的な見方のようだ。残念ながら私はほかの作品を読んでいないので、実際のところはわからない。しかし、これが最高傑作でないのなら、最高傑作と言われるものはどれほどすごいのか興味津々である。

これを初めて読んだのは中学二年のときだったか。ちょうど海外文学を読み漁っている時期で、たまたま手に取ったのだろう。
いい時期に読んだのだなと思う。
幼馴染みの16歳の少年フィルと15歳の少女ヴァンカはブルターニュの海岸に毎年避暑にやってくる。微妙な時期のすれ違い。フィルを誘惑する美しい夫人。となると、もう展開は読めてくる。
しかし、この小説には官能的な表現は一切ない。
そこがあの時代の小説の奥床しさであり、際立った心理描写につながるのである。ほんの少しでも官能的な描写があったとしたら、この小説は台無しになっていたことだろう。

とにかく健康的で気が強くて子鹿のようなイメージのヴァンカが強烈だ。ほかの名作ヒロインのような際立った個性はないものの、普遍的な少女としての魅力に溢れている。こんな彼女がいたら浮気はしないと思いたいところだが、そうはいかないのが男のバカなところ。
ヴァンカと肉感的な熟女の間をふらふらふらふら、フィルの情けなさには理性を超えたどこかであまりにも共感できてしまうので、これがまたイタイ…。つまり、あんなに可愛いヴァンカを裏切りやがって、と思いつつも感情移入できてしまうのだ。
実際にその場でフィルのように行動するかどうかはともかく、フィルを堂々と非難するヤツがいるのだとしたら、そいつとは絶対友だちにはなれないような気がする。
もちろん、ヴァンカはめそめそ泣くようなか弱い女の子ではない。そこがいい。どんなときも凛としていて、だからこそ脆さも感じる。いいねえ、ヴァンカ。フィルにはもったいない。

なんて戯言はともかく、この『青い麦』に久々の新訳が登場した。
良くも悪くも話題の光文社古典文庫である(写真左)。
私が読んでいたのは堀口大学訳の新潮文庫版(写真右)。この訳は古めかしい文体ながら、格調があって、日本語として素晴らしかったと思う。ところが、これもとうとう絶版になってしまったようだ。
そうしたことも含めて新訳の登場には意味がある。今の言葉で訳されているので読みやすい。手の届かないような存在だったヴァンカが、とても近しい存在に思えるような訳である。さらにコレットの原文はさぞ素晴らしいものだろうと想像させるに十分のものだと思う。

それにしても、ヴァンカはいいなあ。。。
年上の女性にフラッとしてしまうフィルはなんとも情けないヤツだが、大丈夫だ、オレはフィルの味方だ。
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