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2019年09月21日04:51

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こんな映画にごまかされて“寓意”を見ようとしてはいけない。マルコ・フェレーリ監督「最後の晩餐」(1973)。

まず原題が「La grande bouffe(盛大な食事)」というだけなのに、キリストの故事になぞらえたような「最後の晩餐」なんて付けて、内容に意味があるように見せかけていますが、何の意味もありません。毎度言ってますが、そもそも“死のう”と“思う”ことが矛盾なので、矛盾した行動に意味を見てはいけませんね。

物語は、ウーゴ(ウーゴ・トニャッツィ)とミシェル(ミシェル・ピッコリ)、そしてマルチェロ(マルチェロ・マストロヤンニ)が、フィリップ(フィリップ・ノワレ)の屋敷に集まって盛大に食べまくり、そして死んでいこうとする話です。フィリップは、たまたま屋敷を見学に来た小学校の先生アンドレア(アンドレア・フェレオル)を誘い、さらに3人の娼婦を呼びます。

かくて“猥褻をむさぼり、淫乱を飲みほす…すさまじい快楽地獄の異様な陶酔!”が展開するという宣伝文句なのですが、猥褻さが不足していて魅力に乏しく、淫乱なんて飲み干せるものではありませんでした。この映画のどこに“快楽”が感じられるのか。そんな敏感な人がいたら、岩波の文化映画を見てもオナニーが可能なんじゃないかと僕は思う。

僕にとっては快楽は快楽でしかなく、それが地獄に思えたら陶酔するどころではありません。もっと僕好みの女優を並べて(当時なら、仏からジョアンナ、アンナ、伊からステファニア、カトリーヌあたりかな)くれなきゃ、興味がわきません。要するにこの映画の変なリアリズムが邪魔をして、僕の脳内ハーレムにおける妄想と比べると足元にも及ばないわけです。

もちろん僕だって、ルイス・ブニュエルの「皆殺しの天使」や、ペドロ・アルモドバルの諸作には心を動かされました。でもマルコ・フェレーリ作品には、「女王蜂」「歓びのテクニック」と裏切られ続けている。とりあえず「ひきしお」程度なら、寓意というものを感じてやってもいいけど、それ以外は僕にとってマカロニ西部劇程度にしか響きません。

それと、オールシネマ・オンラインとimdbによると上映時間は130分ですが、今回のザ・シネマのバージョンは124分でした。どこかをカットしたというのではなく、かつてビデオ化するときPAL方式の毎秒25コマでテレシネしたマスターなのでしょう。24/25でちょうど124分です。ま、正規のスピードで映写したからといって、出来ばえが変わるとは思えませんけどね。

それにしても残念なのは、あの豪華なケーキを投げつけ合うという愚行でした。すべておいしく頂こうよ。要するに撮影現場にいた人間が喜んだだけの映画ではないかと、僻んだ僕は悔しがっているわけです。←まさに「歓びのテクニック」ですわ。監督がこの文を読んだら、ざまぁ見ろと高笑いしよるやろな。
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