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2018年12月18日08:51

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12/15 山下裕二氏講演会「吉村芳生との出会い、その後」@東京ステーションギャラリー

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201811_yoshimura.html

チラシをチラッと見ただけではわからなかった、なぜこの絵がすごいのか。自画像を描いた新聞紙も手描きだったのだ。初めて聞く名前、そそる副題「超越技巧を超えて」…東京ステーションギャラリーは昨年の不染鉄に続き、埋もれた画家発掘シリーズ。期待大。チラシの裏には山下裕二先生の無料講演会のお知らせ。11月23日に電話申し込み。1回の電話で2名まで申し込める。名前を言うだけだった。 

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/event.html
12月15日(土) 19:00 〜20:30(18:30開場)
講師 山下裕二(明治学院大学教授)
聞き手 冨田 章(当館館長)
会場 東京ステーションギャラリー 2階展示室
参加費 参加無料
定員 70名 *定員になり次第受付終了

受付開始は18:30。その前は入場できないが、15分前には外(駅校舎内)で長い列ができていた。会場は2階赤レンガの展示室。受付してから階段を上らなければならず、しんどい。エレベーターは時間外で停止(頼めば動かしてくれたかもしれないけれど)。前から2列目の席だったが、山下先生のお顔がちょうど前の人の頭とぴったり重なり、体を傾けての視聴だった(肩凝ったww)展示室が講演会場なのでそれまで作品を見ることができる。作品に囲まれながらの講演会とは贅沢だ。ただし、写真撮影は不可。

山下先生の講演会は前半に展覧会の話、後半にスクリーンを見ながら1点1点作品解説をするパターンが多いが、今回は富田章館長との対談形式。富田館長は「聞き手」と言う事だったが、お二人の仲の良さが出て「対談」と言う形に近かった。内容は図録に寄せた文とほぼ同じだったが、所々山下先生の現代美術への批判や好みなど、本音がのぞいて面白かった。1時間半、今回もあっという間。自分の覚えのためと、行かれなかった友人のために以下書き留めておきます。

山下先生が吉村芳生を知ったのは2004年の山口県美術展。椹木野衣氏とともに審査員だった。ちなみに富田館長が知ったのはそれより前で絵を購入したそうだが、その作家と2010年県美で個展した吉村芳生と同一人物とはしばらく気づかなかったらしい。いずれにせよ、山下先生より早く注目していたので山下先生はちょっと悔しそうだった。

県美展では吉村は2位だった。1位は自分の人生を賭けたような壮絶なインスタレーションで、その作家はその後自殺したらしい。山口県美はかなり頑張っている地方美術館で、マンネリや派閥打倒のため、審査員は3年毎に交代、公開審査。吉村が2位だと知った観客から「あんた、この絵のすごさがわかってんのか?」と山下先生は詰め寄られたそうだ。山口県美術館、いつか行ってみたい。

山口県美では毎年のように受賞、2007年には森美術館の「六本木クロッシング」に出展し、中央でも注目を集める。2010年山口県美で個展「とがった鉛筆で日々をうつしつづける私」開催。壁に描かれた「写真でも、コピーでもない」の文字、かっこいい。仕掛人は河野通孝学芸員。41日間で4万人以上の入場、地方の美術館でこれだけの動員数はすごい。口コミで広がったそうな。館長曰く、東京ステーションギャラリーも知名度が低い人ほど燃える雰囲気があるようで、不染鉄がいい例(来年2月ごろ「美の巨人たち」で放映予定)。ただ、吉村は不染ほどまだブレイクしていないようで、口コミを期待しているそうだ。私は翌日見に行ったが、今年のベスト5には入れようと思った。オススメの展覧会です。

山下先生も「日本美術全集」に現代の鉛筆画超絶技巧の作家3名のうちの一人として吉村芳生を取り上げた。他2名は、篠田教夫と木下晋。作品例を映し出し、山下先生絶賛。木下晋は東大建築学科のデッサン教師をやっていたが、現在その後継者が山口晃なんだって。

吉村も篠田も木下もほぼ同時代の人。背景には、70年代には写実を否定した理屈ばかりのコンセプチュアルアートが主流となり、80年代にまたそれを反動に現れたスーパーリアリズムがあるという。富田館長は立場上?そういった主義や流派を批判しないが、山下先生は(これも立場上?)はっきり批判。技術もないのに理屈ばかりをこねくり回すコンセプチュアルアートは嫌いのようで、どこかでやっているデュシャンの展覧会は悲惨、と言ってた(笑)ついでにフェルメールを大量に借りてくる某美術館も批判(溜飲が下がるww)。一方では、牛の頭蓋骨やヌードばかり写真みたいに描いている超写実にも懐疑的。吉村とは一線を画すときっぱり。若冲や暁斎を絶賛する山下先生の好みは、とことん突き詰めるタイプにあるようだ。

個々の作品についての解説は、展覧会の感想記(講演会の翌日に観に行った)で紹介しようと思うが、《金網》で初個展、徹底的に意味を排除した作品作り(本人曰く「上っ面の美学」)はやはり吉村独自のもの。そこが山下先生お気に入りのところだろう。そして、なぜここまでやるのか、その意図がわからないとも言っていた。鬼籍に入られた今では本人に確かめることもできないわけだから、下手な推測などせず、「解らん」と言ってしまうところがいい。

2013年に63歳で亡くなるのだが、吉村はその1年前パリに留学する。そこでは山口の徳地で得たような描きたいモチーフも得られず、部屋に引きこもって新聞紙に自画像ばかり描いていたそうだ。山下先生は、彼がパリに留学したことが死期を早めたんじゃないか、今更パリなんかに行く必要はなかったと惜しんでいた。そもそも日本人はパリで学ぶ必要などなし!青木繁、岸田劉生、熊谷守一を見よ、平安絵巻や江戸絵画を見よ、外国へ行ってすごくなったのはフジタと岡本太郎くらいだ、黒田清輝なんぞ(以下自粛)…ということらしい(笑)

東日本大震災で吉村に変化が見られたことから、お二人が311に何をしていたかに話が及んだ。富田館長はステーションギャラリーで仕事中、従って帰宅できなかったそうで、山下先生は江戸博で狩野一信の五百羅漢展展示準備真っ最中だったと言った。そうそう、あの展覧会は急遽中止になってしまったっけ。数ヶ月後に開催できたけれど、私はまだショックで行く気になれず、見逃し。残念だった。数年後その一部を増上寺で見ることができたのを思い出す。

それから息子さんの吉村大星さんのことも紹介。なんと父親と同じ技法で絵を描く画家で、村上隆が作品を購入しているほどの才能で、山下先生も見込んでいた。会場にも見えていて、先生は紹介したかったようだがご本人はシャイで名乗りをあげなかった。スクリーンに映し出された絵を見てびっくり!白猫が石の上に座ってこちらを見ている、大きな、そして細密な絵。猫の道は猫、というべきか、私、この作家さんを知っていた!でもまさかそれが吉村芳生の息子さんだとは結びつかなかったなぁ(そもそも吉村芳生を知らなかったもの)。大星さんは大の猫好きだそうだ。そういう山下先生も3匹飼っていたほどの猫好き、大星さんの絵、いいなぁいいなぁと何度も言う。館長にも「猫好き?」と問い、館長も「私も飼っていましたよ」と応じる。私としては嬉しい話。

嬉しい話ついでに、山下先生と富田館長は同い年の還暦、なんと誕生日が6月15日でこれも一致という奇遇。すっかり話が弾んで毎年盛大な合同誕生日会をやっているそうだ。私も先生方と同い年だよん。で、還暦を機会に、同年代の三菱一号館美術館の高橋明也館長と3人で「初老耽美派」というのを作ったそうだ。好きな絵だけ見てのんびり過ごそうよ、というコンセプト。いいな、こういうおじさんたち。それで、先日仕事で京都まで行ってきたらしい。(その記事がJR東海の新幹線車内雑誌に載っているそうだ。手に入るといいね)京都では天球院障壁画を下見、来年の「奇想の系譜」展でこの本物が都美に来る。というわけで最後はこの展覧会の予告宣伝で終わった。もう前売りは購入済みだが激混みしそう。

お話くださったことをそのままだらだらと書いてみたが、読んでくれた友人の参考になったらいいな。
残り10分は質問コーナーで男性二人が質問していた。夫に「なんでとんちんかんな質問するのかしら」と言ったら「とんちんかんな質問できるような人だから、あの場で手を挙げられるんだよ」と夫らしい答えが帰ってきた。

翌日再びステーションギャラリーへ、講演会の内容を参考に鑑賞。感想は次の日記で改めて書きます。



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