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2015年03月25日09:44

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人生意気に感ず「後継者となるかゆうじ君。一冊の本との出会い」

◇萩原ゆうじの事務所で昨夜思うことがあった。4年前の私の選挙の時のあの出来事だ。千年に一度地われる大地震。轟音は山鳴りのように伝わり、電気は止まり、人々はあるいはパニックに陥り、あるいは不安におののいて息をひそめた。ローソクの下での集会は異様だった。私は7度目の当選を果たした。当選証書を手にした時、「これが最後の証書だ」と私は密かに思った。
「後継者は誰がなるのか」、多くの人が口にするが当てはなかった。私の政治姿勢と支持者の態勢はある意味で特別のもの。この状況を受け継ぐ者は容易に現れないだろうと思われた。
 萩原ゆうじ君が私の前に現れたのは昨年の夏である。その前、私は既に引退声明を出し上毛は一面で報じていた。後で分かったことだが、萩原ゆうじ君は、東京の公認会計士の時代にある劇的な体験をしたという。
職場のある先輩から一冊の本を勧められた。私が平成6年に初版した「上州の山河と共に」。赤城山での開墾生活に始まり県議選に当選するまでが記され、序文には元東大総長林健太郎先生の「中村紀雄君のこと」がある。
 ゆうじ君は、これを読んでいつかこういう政治家になりたいと思ったという。心に生じた小さな芽は激動の社会にもまれながら静かに成長したのだろう。縁とは不思議なものだ。本との出会いから長い年月を経てゆうじ君は私と行動を共にすることになった。
 昨年、旧宮城村の柏倉の奥地を二人で歩きながら「あそこがランプの生活をしたところだ」、「これが裸足で小学校へ通った道だよ」と話した。ゆうじ君には時々戦後の復興の歴史を話すが、宮城村の少年時代はその材料にふさわしい。「貧しかったが社会には活気があふれ、村にはどこでもあのリンゴの歌が流れていたんだ」。ゆうじ君は私の話を聞きながら何かを考えているようだった。人口減が続き、元気を失っていく私たちの社会。消滅自治体のことが叫ばれている。この村を消滅させてはならないという思いがこの若者の胸にあるに違いないと思った。萩原ゆうじが私の後継者になれるか。その時が近づきつつある。天気晴朗なれど波高し。
◇昨日は高崎市役所に、ある陳情にゆき副市長と話す中で楫取が出た。県庁を強引に高崎から前橋に移した楫取。時代は恩讐を超えて静かに大きく流れていることを感じた。(読者に感謝)

☆私の後継者、萩原ゆうじ君は慶応卒・30歳の公認会計士。知性と信頼をと意気込む。


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