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2023年12月09日20:33

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12/7 カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》と「キリシタンの祈りと聖母マリア」展@東京国立博物館平成館企画展示室

国立西洋美術館に行くと、企画展でどんなに疲れても常設のこれだけはみて帰るというほどに美しく胸打つ絵。
カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》1655年頃
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カルロ・ドルチは17世紀フィレンツェで活躍した宗教画家。祭壇画などの大画面制作は得意でなく、小画面の聖母像や聖女、聖人を多く描いたとか。つまりはプライベートの注文で、こちらも高貴な人からの注文だろう、貴石ラピスラズリをふんだんに使ってある。
wikiによると「ドルチの制作した悲しみの聖母像は、現在ルーヴル美術館、エルミタージュ美術館、ボルゲーゼ美術館、国立西洋美術館などに所蔵されている。」とのこと。そのうち、ボルゲーゼ美術館の作品は「親指の聖母」と呼ばれるもので、衣のひだの間から親指だけをのぞかせる形で描かれているらしい。

そして今、東博の平成館企画展示室では「キリシタンの祈りと聖母マリア」展が開催され、おそらくこれにそっくりな、長崎奉行所に伝わる《聖母像(親指のマリア)》が展示されているという。マイミクさんからメッセで情報をいただいた!感謝。

同じ上野公園内の二館、聖母像をハシゴして見比べるなんて、クリスマス時期にふさわしい美術鑑賞ではないか。

二館を回るには見たいものだけピンポイントにしないと体力なしの私には無理なので、前もって計画を立てる。

東博東洋館のテラスで持参のお弁当

東洋館4階8室「中国書画精華ー日本におけるコレクションの歴史」
※先日根津美で「北宋書画精華」展をみたので、その関連で見たく思った(日記は別に書く予定)

平成館企画展示室「キリシタンの祈りと聖母マリア」

国立西洋美術館常設展4室 カルロ・ドルチ《悲しみの聖母》

常設展10室(版画素描展示室)「もうひとつの19 世紀―ブーグロー、ミレイとアカデミーの画家たち」
夫の好みでもある。キュビズム展をみた後に見るつもりであったが、今回観覧(日記は別に書く予定)


https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=2634
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16世紀にヨーロッパから日本へ伝わったキリスト教は、次第に信徒を増やし、西日本を中心に浸透してきました。その後、禁教になってからは弾圧を受けながらも潜伏することで信仰を守ってきました。当館が所蔵するキリシタン関係遺品のなかには、ロザリオ、十字架、メダイ、銅牌といったキリスト教の信仰の様子を示す品々があります。また、イタリア人宣教師シドッチがもたらしたとされる「親指のマリア」をはじめ、聖母マリアの姿を表わした油彩画や、白磁製の観音像を聖母に見立てたマリア観音像など、聖母マリアに関連した作品があります。
クリスマスの時期に合わせて開催される本特集では、これらの作品を通じて、日本におけるキリスト教の受容や潜伏キリシタンが受け継いできた信仰、そして聖母マリアへの祈りについて紹介します。


《マリア観音像》中国 明〜清時代 17世紀
浦上村の潜伏キリシタンの総頭・吉蔵が所有していた大型のマリア観音。キリシタンにとって聖像は入手困難なため、中国・徳化窯の白磁の観音像を聖像に見立てて祈りを捧げた。白磁の色は純潔の聖母マリアのイメージにぴったり。吉蔵は先祖代々像を守り抜き、安政3年(1856)に捕えられ、厳しい取り調べを受けて牢屋で亡くなった。
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《聖母子像》ヨーロッパ 16〜17世紀 銅板油彩
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《聖母子像》ヨーロッパ 16〜17世紀 銅板油彩
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《聖母像》フランス 19世紀 石膏製
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《銅牌 無原罪の聖母》安土桃山〜江戸時代16~17世紀 青銅製
無原罪の聖母マリアを囲む雲文様はヨーロッパの図像にはなく、日本で鋳造したとみられる。こう言った雲の表現とマリアの足元に三日月があるところは長崎県生月島の隠れキリシタンの御神体の一つである「お掛け絵」によく似ている。
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《ロザリオ》ヨーロッパ 19世紀
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これらは皆長崎奉行旧収蔵品である。
そして、お目当ての《親指のマリア》も同じく、長崎奉行が収納した。
《聖母像(親指のマリア)》イタリア 17世紀 銅板油彩
イタリア人宣教師・シドッチの携行品であったと新井白石が書き残している。作者は不明だが、カルロ・ドルチの作風に似るとキャプションにあり。
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シドッチのことをググってみると…
シドッチは1668年(寛文8年)生まれのイタリア人カトリック司祭。周りの反対を押し切って1708年鎖国下の日本屋久島に上陸。和服帯刀、ちょんまげ結って変装したらしいが、言葉通じずバレて長崎へ送られる。取り調べの新井白石と交流を持ち、特別待遇で小石川の切支丹屋敷に幽閉(軟禁)されるが、禁じられている宣教をしたため、地下牢に移され衰弱死した、という。

そのシドッチが日本に携行したという聖母像。西美の《悲しみの聖母》に比べ小さいし、傷んではいるが、よく似ている。
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全体的な印象では、《悲しみの聖母》の方が明暗のコントラストが強く、顔右半分の表情が闇で覆われていて、手も組んでいるので強く祈りを捧げているように見え、いよいよ神々しい。
一方、《親指の聖母》の方は、マントの裏地が青でなく、柔らかなピンク色で、伏せた右目の様子も見え、組んだ手もマントに隠され親指しか見えず、どちらかというと《悲しみの聖母》よりも親しみやすい感じだ。
ボルゲーゼ美術館の《親指の聖母》の画像と見比べたかったが、画像が見つからなかった。美術館コミュの諸先輩方は海外美術館でドルチの他の作品もご覧になっているようで羨ましい。

いずれにせよ、悲しみ、寂しさ、祈りを内含した、甘美で優しげな聖母に、隠れキリシタンたちはますます信仰を強くしたのではないかと思われた。
《親指の聖母》がドルチ作なのか、あるいはドルチの作品を真似たものなのかはわからないが、シドッチが自らの深い信仰と布教の志でこの美しい像を携行した気持ちを想像したい。

《祈祷書》安土桃山〜江戸時代 16〜17世紀
ラテン語の聖歌が変体仮名で墨書されている。
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《守袋》ヨーロッパ 19世紀
「スカプラリオ」と呼ばれ、紐で繋がれた2枚の布によって修道服の肩布を簡略的に表している。ヨーロッパでは13世紀頃からスカプラリオを身につけて臨終を迎える人には、聖母マリアが永遠の救いを約束されるという信仰が始まった
掌に収まる小さな布、隠れキリシタンはそっと隠し、身につけていたのかもしれない。
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《踏絵》
はじめは髪や板を踏ませたが、すぐに破損してしまうため、没収した銅牌を厚い木板に埋め込んだいた踏み絵が1630年頃から用いられるようになった。さらに、九州諸藩からの貸出の要請に応じるため、より強固な真鍮製の踏み絵が寛文9年(1669年)に作られた。
いかに広く頻繁に行われていたかがわかる。
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鏑木清方の《ためさるゝ日》という絵の踏み絵は、銅牌を厚い木板にえめ込んだものだったなと思い出す。
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キリシタンの祈りと聖母マリア」展@東博は12月24日まで


アルバムあります。
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000120925466&owner_id=2083345


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