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2023年10月30日11:52

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10/26 ジャム・セッション石橋財団コレクション×山口晃 ここへきてやむに止まれぬサンサシオン@アーティゾン美術館

4回目のジャム・セッション。1回目は鴻池朋子(日記はこちら)、2回目は森村泰昌(行かず)、3回目は柴田敏雄と鈴木理策(日記はこちら
これまでも全部面白かったから、大好きな山口晃氏なら、何をしてくるかと大期待。そして、期待以上に「意外な」展示にびっくり、難しくて頭を抱えてしまったのもあるけれど、私の大好きなセザンヌの分析は素晴らしくて、「ああ、大好きな芸術家が大好きな芸術家を好きで嬉しい!」とか、東京2020オリパラの仕事を受けるにあたって、芸術家らしく反体制側の立場で大変逡巡したのだと分かったことに「ああ、オリパラ反対、同じ思いだったのね!」とか、単純に喜んでしまった。

一言で言うと、山口晃の作品を見ると言うよりは、芸術家山口晃の脳内を見たと言う感じ。
相変わらず後半には、描きかけの…ですらない「空白」が。会期終了に行くとまた「変化」があるのだろうか。時間と体力があればもう一度行きたい、そうしたらもう少し咀嚼・消化できるかしら。
会場は1点を除いて写真撮影可。

https://www.artizon.museum/exhibition_sp/sensation/
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日本は近代を接続し損なっている、いわんや近代絵画をや。
写実絵画やアカデミズム絵画に対する反動としての、あるいはその本来性を取り戻すためのものが西欧の〈近代絵画〉であろう。が、写実絵画やアカデミズム絵画の歴史を持たぬ本邦に移入された近代絵画とはなんであろう。
西欧の近代絵画と日本の近代絵画を蔵する石橋財団コレクションを前にして、改めて、山口晃(1969-)はそう述べます。
今回のジャム・セッションでは、「近代」、「日本的コード」、「日本の本来性」とは何かを問い、歴史や美術といった個人を圧する制度のただ中にあっても、それらに先立つ欲動を貫かんとする山口晃を紹介します。


セッションのお相手はセザンヌの《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》と雪舟《四季山水図》
表題のサンサシオンは、フランス語で「感覚」という意味で、セザンヌがよく用いていた言葉だとか。
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その「感覚」を鑑賞者にも体現してもらおうとしたのだろうか、山口氏が仕掛けたものがある。

その1はこちら
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欧州では当たり前、日本では許されていない美術館での模写を、この展覧会に限り(コレクション展の会場でも)可能としたこと。山口氏が美術館に掛け合ったようです。山口氏手書きのキャプションにも「描くことは見ること」「鑑賞は制作の追体験」とある。私が行った時にはデッサンする画学生は一人もいなかったけれど、そういう人がたくさん来たらいいな。

その2は《汝、経験に依りて過つ》
最初の大仕掛け。すでに行った人は「ネタバレになるから」と詳しく書かないが、とても立っていられなかったぁ、とだけ書いておこう。
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ちなみに係員さんを撮らせてもらったら、涼しい顔してこんな感じ。
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夫もなんとか慣れてこんな感じ。
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このことについては、解説漫画「すゞしろ日記」を。
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この「すゞしろ日記」は至る所にあり、これがとても面白い。東京大学出版会PR誌『UP』に連載していて、本にもなっている。

その3は《モスキートルーム》
何もない部屋に入り、指示に従って壁を見つめると飛蚊症が。目玉を上下に動かすと眼球の丸みをも感じる、と。
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解説の「すゞしろ日記」
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サンサシオンが研ぎ澄まされた?ところで、本題のセッションを見る。

セザンヌ《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》
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山口晃《セザンヌへの小径》
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パネル「おおセザンヌ」6枚にセザンヌを模写することで気づいたことを書き連ねている、これぞまさに「自由研究」。同じ色をどこに置くか、どこから描き始めるか等を観察して、セザンヌの絵は「多視点ではなく多視線」だと発見、「見ている対象ではなく、見ている感覚(サンサシオン)を前景化させるためには物を見せてはいけない、しかし存在は描かねばならない」といい(少しついて行かれなくなる・汗)、「セザンヌを理解していたらキュビスムにはならないはず。ではなぜキュビズムは生まれたのか。誤読したからです…我々がセザンヌにキュビズムを見出すのはセザンヌへの侮辱に思えます」と。最後のパネルに入る頃には、難しくて消化不良になった(大汗)が、「セザンヌはキュビズムじゃない」「浮遊した筆致にもかかわらず、見えると云うことを凄まじく実感させる絵である」には快哉を叫んだ。

次は雪舟《四季山水図》
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掛け軸が入るガラスケースには照明がなく、向かいに発光する壁が置いてあり、見せ方に意図があるようだが、なんともよくわからない。
例によって、自由研究のパネル「そんな雪舟な」を読む。「雪舟は“方ぼかし”がすごい」と絶賛。そうした上で「もともと禅の修行の一環として描いている建前なので、瞑想により意識変容が反映されているかもしれない」とし、「感覚が精神に変容を促して来る、こちらの頭の中をいじってくる」仕組みが雪舟の絵にはあるという。
そこで彼が示したのが《オイルオンカンヴァス》のシリーズ。…困ったことに、私にゃこの絵はちんぷんかんぷん。
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そこで、別室にうつり、半円形のスペースに家屋や岩の平面的モチーフをジオラマのように配置してある《アウトライン アナグラム》を鑑賞。残念ながらここだけ撮影禁止。その制作模型はこちら。
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この部屋に入ると、雪舟の空間表現を体験、体が自然とジオラマの中に入り、作品が「こちらの頭の中をいじってくる」感覚サンサシオ〜ン。

難しい(と思った)のはここまでで、会場には順路なく、中央には山口氏のアトリエ、制作風景が垣間見えるような立体があったりして面白い。
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イヴの箱だった。山口さん、頭痛持ち?
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そして、山口晃といったらこれ、の「現代やまと絵」
《テイルオブトーキョー》
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縮尺も時代風俗も超越しているがなぜかしっくり収まる不思議。
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《日本橋南詰盛況之圖》
東京メトロ日本橋駅のためのパブリックアートの原画。駅に行けば見られるらしい。実際設置の場合の繋ぎ目部分を白で残しているあたりが細かい拘り。日本橋の景観についての考察は《趣徒日本橋編》という漫画になっていてこちらの原画も読めるので、楽しさ倍増。
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《善光寺御開帳遠景圖》
善光寺蔵になっているから、善光寺で展示されてる?不自然な本堂の描き方や外されている額縁、どんな意味があるのだろう。こちらの「絵解き」も欲しかった。
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《来迎圖》
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《大屋圖》
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そして、東京オリパラに合わせて放映されたNHK大河ドラマ「いだてん」の
《東京圖1・0・4輪之段》オープニングタイトルバックの原画
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パラリンピックのポスターも《馬からやヲ射る》
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《当世壁の落書き》で、オファーが来た時相当悩んだ話が延々書いてあり可笑しかった。フローチャートで、アートポスターを受ける場合と断る場合を設定して進めるが、最後にはどの道をとっても「美術の誹りを受ける」になる。痛烈な批判。全く、アスリート、アーティストはじめ国民置いてけぼりの「国の祭典」とは一体なんなんだろね。
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最後の部屋。
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画像にはないが、向かいの壁には、明治期の日本の西洋絵画を確立した黒田清輝、浅井忠の絵が並ぶ。
ここに、山口氏の作品が掛けられるはずだったのが例によって間に合わなかったのか、それとも意図したことなのか、わからないが、張り紙に記された文章にはハッとさせられる。
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昔読んだ司馬遼太郎の本に「嘆かわしいことに、日本に近代がない」という言葉を思い出す。開国後の急速な欧米化政策によって、日本に近代が生まれる土壌を作り損なった、このことに立ち返れば、現在の日本国の在り方、日本人の在り方がほぼ全て説明がつく、というような理解だったと思う。
山口氏のいう「日本は近代を接続し損なっている、いわんや近代絵画をや。」と共通性を見る。

本展のタイトル「やむに止まれぬサンサシオン」には、美術を取り巻く制度(体制)に個人が絡め取られる状況に対して、対抗できるものはただ一つサンサシオン(個人の「感覚」を研ぎ澄ませること)ではないか、という山口氏の思いが込められているのではないかと思った。

11月19日まで

写真撮影可だったので、アルバムあります。
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000120880515&owner_id=2083345

5階、4階の展示については別日記で。

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