私は長らく霞のかかった世界で生きていた。
当時の私から見た世界は殆どのものがぼやけていて、正直思い出せるものは少ない。
おじいちゃんが死んだ中学2年生の夏の情景は仔細に思い出せるが、それ以外の日常は相変わらず霞がかかっていた。
その世界は語られる場所以外の詳細のない物語の世界に似ている。
私がいた世界が物語の世界だったとしたら、きっとそこは語られることのなかった霞のかかった世界なのだと思う。
つまり、そこは誰にとっても語るに値しない場所だったのだ、私も含めて。
霞のかかった世界では色々なものがぼんやりしている。
町中にある飲食店の看板も、自分が書いているテストの答案も、その日食べたご飯も。
色々なものがうまく認識できずにいた。
不思議なもので、高校に入って、きちんと勉強して、漢字の書き方や自然の摂理、歴史などひとつひとつの知識を得ていくと霞はどこかに消えていた。
そして、勉強して知ったもの以上に、色々なものを理解できるようになった。
あるいはそれは、自分が語るに足る存在になったということかもしれないし、あるいは自分で世界を語り、霞を消せる存在になったということかもしれない。
いずれにせよ、それ以降、私の世界の霞はどこかに行ってしまった。
今になって思い出す、霞のあった頃の世界は相変わらず霞のにかかっていて、明確な記憶は殆ど残っていなかった。
世界を知る前の世界は、相変わらず霞のかかった世界のままなのだった。
以上
【最近のNotice】
・知識のマッピング(対応付け)
技術系の書籍を読んでいて思いましたが、本の内容と現実の出来事をマッピング(対応付け)できているほど、深くその本の内容を理解でき、現実の体験を自分の中で抽象化してエッセンスを学ぶことができることがあります。すべての本でできるわけではないですが、できるだけこのようなマッピングをできるようになるといいな、と思った今日このごろ。
【最近のGratitude】
・Try new thing
I was assigned a year-long English leadership training program. What makes this training unique is that I will learn not only English, but also how to exercise leadership in a cross-cultural environment.
I’m anxious about not having used English for a long time, but I am excited about this new challenge!
ログインしてコメントを確認・投稿する