mixiユーザー(id:6327611)

2020年09月09日02:26

110 view

言われてみれば、渡哲也は最後の“日本映画のスター”だったのかも。長谷部安春監督「野獣を消せ」(1969)。

この8月に無くなった渡哲也をしのんでの勉強会に参加しました。僕にとっては、日活のスターだった渡哲也です。最近は日本映画を毛嫌いしていますが、1966年に大学に入ってすぐのころは邦画を見まくりました。大阪に通うようになり、映画館に出入りできたおかげです。

その前に高校生の頃、日活映画はある意味を持っていました。つまり今村昌平に代表されるエロ系作品を見たくてしょうがなかったわけです。さすがに18歳未満のころは無理でしたが、「執炎」とか「非行少年」は、とても印象に残っています。とくに受験校にいたから河辺和夫の「非行少年」に関しては、卒業文集に長文を掲載してもらったこともあり、他の映画以上の意味が僕にはある。

そんなころに渡哲也が“売りだされた”わけです。あのころ映画五社はまだ、なんとかブロックブッキングを続けていたのでした。それが難しくなった日活は、ほどなく大映と組みますけど。そんな五社体制の最後のころに、渡哲也は登場しました。とはいえ、日活程度のスターシステムなんて、当時の僕にはお呼びじゃない。

シネクラブなどで「狂った果実」を見て面白いとは思っても、ぶくぶくと中年に向かっている石原裕次郎をスターだなんて思ってませんでしたから。だから逆に、渡哲也の「嵐を呼ぶ男」は面白く見ました。でも、それ以後も僕は、スターの渡哲也を追うことはありませんでした。あくまでも桝田利雄監督作だから見る、というスタンス。だから「紅の流れ星」も公開時に見ていますが、矢崎仁司監督や長崎俊一監督らが夢中になったようには、感心しませんでした。

でも、加藤泰監督の「人生劇場」(1972)「花と龍」(1973)「日本侠花伝」(1973)を見て、意識が変わりました。ちょうど今年、三船敏郎の「価値ある男」や「将軍」(ミニ・シリーズの全6作)を見て、三船というスターの意義を考え直したように、渡哲也も“スター”だったんだ、ということ。最近見なおして、ますますその意を強くしています。だから勉強会の「人生劇場」は見逃さないようにね。

とはいえ「野獣を消せ」は、あのころのブッキングに穴を開けないための添え物映画として作られた感が強く、僕には残念でした。撮影が姫田真佐久だったことで、冒頭の娘が犯されて自殺を図るシーン、夕陽をバックに米軍基地にジェットが着陸する、その前でコカコーラの瓶を割って手首を切るという、熊井啓の「日本列島」でさえ、そんな恥ずかしい図式は作らなかったわけですから、長谷部監督のギャグなのでしょう。それが見られただけで、この映画は十分でした。

川地民夫と藤竜也がカミナリ族ギャングなのですが、そのあたりも荒唐無稽。1969年に、この程度のエロを見せられても満足する筈がないという作品でした。自殺に追い込まれた妹の復讐というあたりも牽引力が足りず、ハンターのプロということで長銃を持ち歩く渡哲也の活躍ぶりも不足。なにより、当時の日活ならではのアフレコのちゃちさが不満です。

とはいえ、そんな日活のシステムが、最後に生みだしたスターである渡哲也が亡くなったということは、チャチでもそれなりにスターを輩出した日本映画の一時代が完全に終わったことです。渡哲也の実力は、別の映画で確認することにして、こういう“量産作品”が次々と劇場にかかっていた時代をしのび、渡哲也さんのご冥福を祈りたいと思います。
6 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2020年09月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930