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2017年08月09日11:13

1949 view

ジャンヌ・モロー追悼として、やはりルイ・マル監督「恋人たち」(1958)を見直しました。

前回見直したのは2011年9月ですが、そのときは「死刑台のエレベーター」の字幕を担当したことからルイ・マルの作品を見直そうとしたのでした。そのときの日記に、見直したDVD-Rは4:3のテレビ画面の上下を切ったものとあります。今回は、ハイビジョン放送したものをBD-Rに録画してありました。←デジタルリマスターとは言えないけど。

この映画はフランスが開発した、シネマスコープと互換性のあるワイドスクリーンである、ディアリスコープで撮影されています。ハイビジョンだと上下に黒が入りますが、それでも4:3の画面を上下に切ったものより数倍映画に近い。このころ(1958年です)のディアリスコープは、初期のシネマスコープと同じく縦横比率が1:2.55だったそうです。

そんなわけで冒頭のポロのシーンなど、ワイドな映像が楽しい。そしてジャンヌ・モローはこの時、30歳になる年令でした。地方新聞社主のアラン・キュニーの夫人として、可愛い娘もいるし何不自由ないという設定。ところがポロの選手であるホセ・ルイ・ド・ヴィラロンガに言い寄られてまんざらでもない。そしてポロ選手を家へ招いて晩餐会を、という矢先に、車が故障したとき助けてくれた考古学者を連れ帰り、夜中にできてしまう、という展開です。

1958年というと、僕は11歳で小学校5年生。そのころ「恋人たち」を見ても、主人公の心の動きなどは分かるはずがなかったでしょう。でも「恋人たち」を初めて見たのは、ビデオソフトになってから。1980年代半ばだと思います。それなら僕は30歳を超えていますから、こういう恋愛関係はそれなりに理解できる。モローが30歳とは思わなかったけどね。←1970年の万博映画祭でサインをもらったときは40歳を超えておられました。だからずっと年上のおばさまという印象です。

今回、30歳というジャンヌ・モローをしけしげと眺めましたが、やはり年下には思えないなぁ。思い返すとジャンヌ・モローは、僕にとってそれぞれの映画の配役として記憶されていたのでした。つまり映画で“ほれ込んだ女優”ではなかったのかも。とはいえ、サインまでいただいたくらいに接近遭遇した、僕にはまれな世界的大女優です。

「恋人たち」では終盤、考古学者と屋敷の外を歩く二人の姿が感動的です。あの水車小屋という的確な装置。そしてその川の流れを止めている堰。夜中にそんなところを歩く二人の姿だけで“感動”するという作品は、まれだと思います。そして呆然としている夫や招待客を尻目に、二人は家を出て行きます。

これが若い二人なら、マイク・ニコルズの「卒業」のように、不安はあるけどハッピーエンドとなるわけです。しかし30女と考古学者の不倫の結末についてはどうだろう。そんな先行きの心配はそうなったとき考える、という決断力が感動を呼んだのかもしれません。なにせ映画なんですから。

実際にこうなったら? そのとき考えますよ。架空の話だとしても、考える題材にするのなら、もっと現実味を帯びた話だけにします。夢を見たって現実から逃げるだけじゃ何にもならんもので。写真3は万博映画祭でもらったサイン。“トリュフォーさんが主賓だから”と控えめに書いてくれました。左のページにはトリュフォーが、野生の少年がしゃべっているかのようなフキダシをつけてサインしてくれてます。
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