mixiユーザー(id:6486105)

2015年10月29日21:51

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少し書いてみます

 今振り返ってみると、今年の夏は平年並みの暑さだったのか猛暑だったのか、曖昧模糊としている。このような二者択一の設問を試みると私は決まって答えることができない。この場合は記憶が朧気であることが起因しているのだが、ではつましい暮らしが好きか贅沢な生活が好きか、と自問するとこれもひとつを選ぶことができない。自分がよくわからない、というのは小さな頃からの傾向で、50歳を過ぎたあたりからはさらに優柔不断になった。常につきまとう曖昧さが昂進し、ときどきは混迷の渦に巻き込まれて自失してしまう。
 mixiから離れたのはある人のメッセージが発端だった。が、それは別に発信者にしても受け取った私にしてもたいした内容ではなかった。一日か二日くらいmixiから離れてみよう、くらいの気持ちで中座してみたら、それが3カ月になったのだ。数日ほどアクセスを控えたら、あれほどmixiが好きだったはずなのに憑き物が落ちたような軽やかさを感じた。それでmixiから届くお知らせメールも切って、完全に離れることにした。
 メッセージを送ってくださったかた、申し訳ありませんでした。
 人間は誰しも自分を演じる。この際だから書くけれど、私はたとえばmixiでその日起こったことを日記代わりののエッセイにまとめながら、(自分はこんなふうに生きたいというわけだ)としばしば恥じ入っていた。パソコン通信が始まったときからこのかたデジタル・ネットワークに恃むところが大きい自分に胡散臭さを覚えているので、心境としては太宰治の自己否定と同じくらいに自分に対する嫌悪感があった。
 高校3年から浪人時代に掛けて、受験勉強から逃避したくなると太宰治や高橋和巳を読んだ。が、社会人になったら彼らの影響が自然と薄れていき、時には自分がいっぱしの人間であるかのごとく(彼らのような繊細さはもういい)などと距離をとったこともしばしばだった。 
 さて、先週土曜日「座・高円寺2」で開催された幸田弘子の朗読会に行った(http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1556616.html)。そして同日、高円寺でマイミク、というより35年来の友人である中村と同地で会い、長々と旧交を温めた。

<マイミクのSSから「久々に上京するから会わないか」という連絡がきたのは前日に書いた通り。座・高円寺でのイベント(太宰治作品の朗読会だとか、俺と趣味が違いすぎるな。いや、太宰治は好きなんだけどね) >
<座・高円寺についたのは15:23。イベントはまだ終了していないらしい。
メールを確認すると、「15:40に電話する」というメールが入っている。
座・高円寺の館内トイレに入って用を足し、入り口でツムツムやりながら待っていると、イベントが終了したのか人々がぞろぞろ出てくる。年配の男女が多く、私が行くような俗っぽいイベントとは少し客層が違うような気がする。
SSが出てきて「喫茶店に行こうか」というので、「じゃあ、レトロな喫茶店に行こう」とトリアノンへ。ここは、上京して最初の高円寺での取材で取材対象が指定してきた店。やっぱり、今はドトールとかエクセルシオールのような店の方が、しっくりくるな。
久々にじっくり話す還暦のおっさん二人。近況など話すが、話が進むと安倍晋三登場以降の「息苦しさ」についての話になってしまう。俺が言いたいの はやはり「シニシズムからの脱却」ということなのだが、「シニシズム」という言葉が出てこない。もう脳細胞がバンバンバカになっていってるなあ。
(中略)
18:00になったので、「ちょっともう一軒行こう」とバーミィーに引っ張り込む。
わしらの世代の人間は、絶対にこの店雰囲気が気にいるはず、という確信があったからだ。
案の定、SSもこの店にハマったようだ。まあ、そうだろうな。>

 長々と引用したのは、この日記を読もうと久々にmixiを開いたからだ。毎日彼はmixiで日記を書いている。おそらく登場してくるであろう私が読まないと、中村に悪いと思ったのだった。ぎりぎりの誠実さだ。
 中村と会うのは1年ぶりだった。お互いこの1カ月の間に60歳を無事迎えた。無事とわざわざ書いたのは同い年の仲間で既に亡くなったヤツがいるからだ。ともかく話が弾み、喫茶店のはしごをした。帰りの電車では興奮と疲れで本などまったく読む気がせず高円寺から鎌倉まで延々スマホを眺めていた。
 彼と私は歳と星座までが同じというだけではなく、共通項が多くある。有り体に言えば遅れてきた左翼であり、挫折と自己韜晦を繰り返し、悲しいほどだらしない性格で、音楽とか文学といった人生にほとんど必要がないアイテムが好きで、Macの信者で、頭の良さ悪さも似たり寄ったりで……。
 太宰に関してはさらに繋がる。
 mixiを休んでいる間に弘前と津軽を旅した。太宰治記念館(斜陽館)も当然、訪ねた。その朝、生家のある金木町に向かってレンタカーを運転した。ずっと晴天続きだったのに雨が降って気温が低かった。前後左右一面に枯れた田んぼが広がる直線道路を走りながら見る津軽の風景は、驕った表現だがわびしいとしか言い様がない昏さがあって、否が応でも太宰治の心象が伝わってくる。太宰治は38年の生涯だった。夏目漱石は50歳で亡くなった。昭和生まれの高橋和巳でも39歳で閉じている。私は自身、生き過ぎているとは思わないものの、必要十分条件で言うと必要条件はクリアしたとときどき感じる。
 本日10月29日、図書館へ本を返却に行く。日記を書かなくなって読書量が2割程度増えた。映画もネット配信を中心に月10数本観るようになった。「愛を読むひと」、ナチスを断じる映画はドイツを中心に今も毎月のように新作が上映されている(日本とは大違いの歴史観)。「異人たちとの夏」、マイミクさんイチ押しの映画をようやく観たら、マイミクさんが泣いたということがトリガーとなって泣いてしまった(笑)。「山の郵便配達」、中国人を口汚くののしるアホは絶対こういう映画を観ないだろうな。「祖谷物語」「さいはてにて」「雨鱒の川」、辺境なる地方を舞台にした映画がどうにも惹かれて登場人物よりもむしろ風景を食い入るように見ていた。と書き出し始めたら、キリがない。
 図書館で暇つぶしのように週刊朝日を広げてみたら、まるでとって付けたようにデヴィッド・ギルモアのインタビューが載っていた。ピンクフロイドのギターの人。美しいロックの嚆矢となった人、私が愛してやまぬ天才歌姫ケイト・ブッシュを発掘して育てた人。久々にソロアルバムを今年出したそうだ(「飛翔」)。知らなかった(^^)//゙゙゙。私の周りでプログレを語ってくれる友人知人なんていないから、なおさらこの手の情報に疎くなる。ミルトンの『失楽園』に触発されて詩を書いたという。そしてイギリスでもっとも偉大なミュージシャンいわく「無関心さがテーマだ。政府による管理に対して反論するのは重要なことだ」などと語っていた。
 mixiをやめて、TwitterかFacebookを始めようと考えた。やるなら本名だ。が、政治的な話題を出したら議論がおそろしく噛み合わない連中に見つかり、そいつらは卑怯なことに匿名者だから「死ね!」などとコメントされて、うんざりな日々になるのだろうな。が、デヴィッド・ギルモアが言う通りで無関心は悪(になる可能性がある)だと常々考えているので、ここでも自分の優柔不断さにヘイトしているのだった。この夏久々にデモに参加したりして、同じ考えの仲間がいっぱいいることはわかっているのだが、打たれ弱い精神の自分を知っているだけに立ち止まったまま。
 生きている事。 ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。(太宰治)





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