mixiユーザー(id:2615005)

2013年11月29日16:55

66 view

となりのトロロ?と資本主義の終焉

手塚治虫「どろろ」を読み返した。若いころは妖怪退治のかっこよさに夢中で気づかなかったが、これほど人間の暗部を抉った陰鬱なストーリーは他にない。描かれた年代を考えると(1967年開始)、あまりの斬新さに唖然とする。まだノワールなんて言葉もなかった時代だぞ。似たようなことばかり書いてしまうが、先見性があって独創的なのは事実だから仕方がない。
BJさんに指摘されて初めて気づいたのだが、みおと言う美少女が戦災孤児たちを養っている。「兵隊の駐屯地に行って恵んでもらう」と説明し、ゴミを投げつけられたり泥の中へ投げ込まれる様子が描かれる。これは性的凌辱の暗喩だ。少女が男たちのところを訪れるなら、することは一つしかない。彼女は兵隊相手の売春婦だったのだ。
腐ったボカロ小説なんぞで、「ボクは悪いから、嫌な話を書いちゃうもんね」とか言ってる低能がいる。バーカ。手塚治虫が半世紀前に、はるかに高いレベルで悲劇も残酷劇も書いてるんだよ。
町山智浩と柳下 毅一郎の「映画欠席裁判」という本で、実写映画がボロクソに罵倒されている。
「こんなもの『どろろ』じゃねえ。『とろろ』でたくさんだ。『隣のトロロ』だ」
妖怪バトルが日本映画にしては良く出来てたので、私はわりと気に入っていた。異世界ファンタジーにしてしまったのも、アリかなと。でも確かに日本の戦国時代だからこそ噴出するマグマのような情念は、映画にはまるで無かったな。原作をちゃんと読み直して真意を理解していたら、低評価になったかしれない。

鬱のついでに鬱系ルポルタージュの話です。
・(株)貧困大国アメリカ 著:堤未果
アメリカの貧困をルポするシリーズの第三弾。一章から三章までは農業が大資本に牛耳られている現状を報告する。アメリカといえば、広々とした農地とのんびり草をはむ牛の群れといった情景が浮かぶが、それはもう過去のものなのだ。牛も豚も家畜工場と呼ばれるコンクリートの畜舎に押し込められ、満員電車なみの環境で生涯を送る。農民たちは借金に縛られ、奴隷さながらの生活だ。

四章では公共サービス、五章ではマスコミが取り上げられる。
いずれも構造は同じだ。資本家の寡占による生き地獄である。筆者はもはや問題は「保守VS革新」でも「民主党VS共和党」でもない、と断言する。本質は1%の富裕層と99%の一般人の戦いだと。アメリカの現状は、革命前のロシアか「カムイ伝」に描かれる江戸時代に酷似している。
世界一の先進国が、このザマかよ。ぐるっと回って、前世紀初頭に戻ってしまったような。もう一度革命を起こさねばならないのか。いったい人間はこの百年、何をやってきたんだろう。
★★★★


2 4

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2013年11月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930